古い車輌の写真

山陽電鉄 6 2000

2002

RP348 Web#=538 掲載2010/11/28

写真1は2000形2002、1970/2/19山陽電鉄山陽別府駅。

2000形の第2次増備として川崎車輌で1957年と1959年に先頭車2000形2002〜2009の8輌、中間車2500形2500〜2502の3輌の合計11輌が造られました。当初は鋼製車体で特急運用のために転換クロスシート装備していました。2002は1970年に3扉中間車3550形3557に改造されました。廃車は2001年です。

2009

写真2は2000形2009、1970/2/19山陽電鉄山陽別府駅。

2009は2000形の第2次増備の最終ロットとして川崎車輌で1959年に2008+2507+2009の3輌編成で造られました。就役直後の1960年にロングシート化されていますが、これは2010の編成にクロスシートを転用したためです。

晩年は2504の代わりに2507と3輌編成を組んで普通列車に使われていました。他の2000系のように3000系に改造されることなく、1988年に廃車となりました。

山陽別府駅の下。

高架駅だった山陽別府駅は小さな古いディーゼルカーが活躍する別府鉄道野口線をオーバークロスしていました。駅のプラットホームから南を見下ろすと、キハ41000よりも古い!ディーゼルカーがユサユサと走って来るという素晴らしい光景がありました。沿線に林立している古枕木に針金を張り巡らした塀と天日に干されている布団や洗濯物、散らかっているスクラップ、トタンで造られた小屋等に注目してください。

2012

写真4は2000形2012、1970/2/15山陽電鉄人丸前駅。

2012は2000形の第4次増備車として川崎車輌で1962年に日本初のアルミカーとして2012+2505+2013の3輌編成で造られました。この第4次増備車からラッシュ対策のためにロングシートの3扉車として就役しています。他の普通鋼製やステンレス鋼製の2000系よりも車体軽量化に成功しています。重量は2012が33.3t、2505が21.1t、2013が32.0tです。川崎車輌の試作車的性格も強く、後に山陽電鉄が5000系アルミカーを大量に増備する礎石となった車輌です。

1990年に廃車となりましたが、その後は産業考古学的価値が認められて東二見車庫において静態保存されています。

2000形の鋼体

写真5は2000形の鋼体で番号不詳、1969/9/8山陽電鉄東二見工場。残念ながらこの鋼体には番号が残っていませんでした。

2000系は新しい設計の電車として、6次に分けて1956年から1963年までの長きにわたって24輌が造られました。その車体仕様は多岐を極め、2扉と3扉、車体は普通鋼製とアルミ製やスキン・ステンレス製があって保守には大変な苦労が伴ったことでしょう。台車もOK-15、OK-15B、OK-21、OK-21B、OK-21C、OK-23、OK-24、OK25、OK-25Aと多岐にわたっていました。

後に山陽電鉄は2000系のような多種多様な仕様の電車から脱却して、最少の種類の電車を大量に増備する方針へ変わりました、趣味的には残念なことなのですが。

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