古い車輌の写真

山陽電鉄 7 3000

3014

RP349 Web#=539 掲載2010/12/10

写真1は3000形3014、1970/2/5山陽電鉄人丸前駅。

3000系は1964年から1971年までに川崎車両で合計75輌が作られました。当初はMc-M-Tcの3輌編成でMcとMが3000番台、Tcが3600番台でした。1964年と1965年に竣工した2編成6輌(3000〜3003と3600、3601)の車体はアルミ製で、その編成のTとして1968年に作られた3500と3501の2輌もアルミ製車体でした。1968年から3500番台のTが作られ4輌編成となりました。1967年以降に竣工した70輌の大半は普通鋼製の車体になりました。

3026

写真2は3000形3026、1970/2/19山陽電鉄山陽別府駅。

2000系でいろいろな試行錯誤の結果、車種が増えてしまったことの反省からかポリシーがコスト重視の単一車種、普通鋼製車による大量増備路線になったからでしょう。

3610

写真4は3600形3610、1970/2/5山陽電鉄人丸前駅。

この写真を撮影した頃は3000系が最新鋭車で、ローカル列車から特急列車まで広く使われていました。塗装は鋼製車が当時の標準色であったネイビーブルーとクリームイエローの2色塗りでした。アルミカーはアルミ地肌のままで、その編成に組み込まれた鋼製車はアルミ地肌色によく似た明るい灰色に塗装されていました。またその逆、つまりアルミ車体に鋼製車と同じ塗装を施された編成もありました。

3200

写真3は3200形3200、1970/2/19山陽電鉄山陽別府駅。

1969年から1970年にかけて、新造した3000系の車体に2000系を付随車化(3550系と改番)したときに発生した主電動機を搭載したもので、3200〜3205の6輌が造られました。このときにTcとして3600形3620〜3622が新造されMc+M+Tcの3編成となりました。写真4は3200+3201+3620で編成を組んでいました。

3000系は2000系、2500系、2300系、2600系をT化したものが編成に組み込まれ、山陽電鉄の代表車として最も大きなグループを形成していました。

   前のページ 次のページ