古い車輌の写真

山陽電鉄 8 10、30

RP350 Web#=540 掲載2010/12/11

宇治川電気は1927年に兵庫電気軌道と神戸姫路電気鉄道を吸収合併し、兵庫〜姫路間の直通運転を目指しました。路面電車を起源とする兵庫電軌と、アメリカのインターアーバンを目指して都市間高速電気鉄道を目指した神姫電鉄の両方を走れるような電車51形が設計されました。神姫電鉄1形からの主要機器を使って車体だけを新造した51〜65の15輌と、機器も新製した66〜75の10輌が製造されました。1927年に51〜63の13輌が藤永田造船所、1928年に64〜70の7輌が田中車両(後の近畿車輛)、71〜75の5輌が汽車会社で製造されました。1930年にはほとんど同じ設計の増備車として76形76〜85の10輌が川崎車輛で製造されました。

宇治川電気の51形、76形として作られ、後に山陽電鉄の100形、1000形となって戦後の困難な時代に活躍していました。戦争のために資材不足で制御車として就役した車輌が多く、太平洋戦争の明石工場空襲で11輌を焼失し、そのうち4輌は復旧できない損傷を受け廃車となりました。1951年の西代車庫火災では6輌を焼失しました。戦後の混乱期の資材不足、多数の買出客による酷使、人心がすさんでいた当時は部品の盗難や破損などで惨憺たる有様でした。

世相が落ち着くと100形と1000形は順次川崎車輌で更新修繕が行われました。1951〜1954年に250〜257の8輌、1959〜1961年に270〜289の20輌、そして最後に残ったのがこのページの荷物電車3輌で1962年の改造です。

10

写真1は10、1969/9/1山陽電鉄飾磨車庫。

この10は1930年川崎車輌で宇治川電気の51形77として新造、1935年に100形107に改番、1949年に120に改番、1962年に荷物電車10に改造され1970年に廃車となっております。

30

写真2は30、1969/9/1山陽電鉄飾磨車庫。

この30は1930年川崎車輌で宇治川電気の51形78として新造、1935年に100形108に改番、1949年に121に改番、1962年に荷物電車30に改造され1970年に廃車となっております。

写真3は30、1969/9/8山陽電鉄東二見車庫。

30には31という同僚がいました。1930年川崎車輌で宇治川電気の51形80として新造、1935年に100形110に改番、1949年に123に改番、1962年に荷物電車31に改造され1970年に廃車となっております。

開業当初の神戸姫路電鉄は電鉄としては珍しく貨物電車を3輌と貨車を多数持っていて沿線の農産物などを運んでいたようです。私鉄の荷物営業用としてはかなり遅く登場した10と30、31ですが、一体何を運んでいたのでしょうか。近鉄で行商人と一般乗客を分離するために設定されていた鮮魚列車が、山陽電鉄でも運行されていたのではないでしょうか?

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