古い車輌の写真

山陽電鉄 13 廃車体

112

RP355 Web#=545 掲載2010/12/17

写真1〜3は112、1970/2/4山陽電鉄西代車庫。

宇治川電気が1928年に10輌の第2次51形を増備しました。66〜70は田中車輌(後の近畿車輛)、71〜75は汽車会社で製造されました。

1928年に竣工した51形73は1928年の改番で112となり、1961年には機器を流用して270形が作られました。車体はこのときに西代車庫でダルマさんとなり長年鎮座していました。

51形は52、57、69、70の4輌が空襲を受けて焼失、1949年に廃車となっています。また1951年には西代車庫で火災があり、1001(元58)、104(元59)、1003(元62)、108(元65)、1004(元66)が廃車となりました。

76形は105(元85)が西代車庫の火災で焼失し、別の車体を載せて復旧されています。

117

写真4は117、1969/5/8山陽電鉄西代車庫。

宇治川電気が1934年に川崎車輌で10輌の76形76〜85を、1934年の特急運転開始に備えて増備しました。76形82は1934年の改番で102となり、1949年の再度の改番で117となりました。1961年には機器を流用して270形が作られましたが、車体はこのときに西代車庫でダルマさんとなりました。

写真5は112、1970/2/4山陽電鉄西代車庫。
華やかな特急用として就役しましたが、太平洋戦争の影響で1940年にロングシート化され、戦中戦後の困難な時期に十分な補修を受けないままで酷使されていました。機器を流用して270形を製造する頃には、車体はかなり傷んでいたものと思われます。

高松琴平電鉄 74

写真6は高松琴平電鉄の74で1973/5/1、高松琴平電鉄志度線旧今橋工場跡地。

1951年に発生した西代車庫の火災で1003(元62)が廃車となりましたが、高松琴平電鉄に譲渡され74となって使われていました。廃車は1968年です。

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