古い車輌の写真

国鉄阪和線 8 EF52

EF525

RJ024 Web#=57 掲載2008/2/2

東海道本線や横須賀線での電化に伴ない多くの電気機関車が輸入されました。輸入電気機関車には信頼性が低いものや当時の日本の技術ではもてあますほど精巧なものもあり、保守しやすいように統一した電気機関車を国産で量産しようという意図の下に最初に作られたのがEF52型です。お手本は使用成績の良かったアメリカ・ウェスティングハウス社製のEF51形を参考にして製造されました。

EF52型は東海道本線に就役しましたが、戦後阪和線に転じ旅客列車や貨物列車を牽引して長らく活躍しました。写真1は阪和線時代の1969/8/11に国鉄鷹取工場に入場していたEF525です。

EF527

写真2と3はEF52の7号機で最晩年の1975/5/5に竜華機関区で撮影。この7号機は1975年8月24日のお別れ運転で急行「きのくに53号」を牽引し、今では製造された川崎重工業兵庫工場に静態保存されています。

どうも輸入電気機関車は故障が多かったようで、国産化に当たっては高望みしないで信頼性重視の観点から高速性能を求めず、定格速度を下げて普通列車向けの性能で作られました。この慎重な設計思想は後の国産電気機関車の方向性を決定付けるものとなりました。

EF142

写真4は国鉄大阪駅で1970/3/2に撮影したEF142です。EF52形は1931年までに9両が製造されたが、最後に落成した2両だけはギア比を変えて高速性能を向上させていました。そのために型式がEF54に変更されました。ところが2台しかいない異端型式はどうも使いにくかったようで、戦争中にギア比を貨物列車用に改造されEF14型となり中央線で使われていました。しかし中央線のEF13型が投入されると押し出されて大阪駅構内の入換用機関車となり、かなり長い間大阪駅の名物として鉄道ファンに親しまれていました。晩年は全く似合わない最新鋭の]型パンタグラフを搭載していました。

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