古い車輌の写真

京福電鉄 嵐山線 2

203

RP357 Web#=571 掲載2011/2/16
修正1 2012/4/21

写真1はク201形203、1975/6/21京福電鉄嵐山線西院車庫。

1950年に路面電車としては極めて珍しい制御車ク201形201〜203の3両が汽車会社(現在の川崎重工)で製造されました。車体や室内は1929年製のモボ101形からずっと同じですが、後部扉が中央に移動した片運転台車となっていました。営業線では連結はいつも同じ後側だけでしたので、運転台側のバンパーの上にはジャンパー栓受が無くてあっさりとして印象がありました。モーターを積んでいないのに運用上の都合かトロリーポールを装備していました。ク201を連結するためにモボ121形の内121〜124の4輌がモーターを2台から4台に増強されました。1996年までに廃車となりました。

302

写真2はモボ301形302、1975/6/21京福電鉄嵐山線西院駅。

1971年にモボ301形301と302の2両が武庫川車両工業(現在の阪神車両メンテナンス)で製造されました。1929年に製造されたモボ101形以来40年以上にわたって変わらなかった車体デザインが、1971年になってやっと変わりました。

京福電気鉄道嵐山線(通称)の鉄道部運輸課の方の依頼で、私のコレクションから写真を提供するという嬉しいことがありました。同社西院(サイ)車庫の検車の方たちの協力で、1975/6/21に撮影した写真がこのようなパブリックなものとしてお役に立てるのは大変喜ばしいことです。

写真3は私の写真が使用されている302号車廃車記念乗車券、裏面は形式図、サイズはB-5判相当の巨大なものです。切符は右側に常識的なサイズで3枚印刷されています。そのほかに電車のイラストが印刷された書類挟み、観光案内、エリアマップ、絵葉書、マスコットキャラクター「あらんちゃん」のボールペンが付いていました。

1001

写真4と5はモト1001形1001、1975/6/21京福電鉄嵐山線西院車庫。

嵐山線の貨物電車フモ501形の置換え用として1974年にモト1001が武庫川車両で新製されました。トロリーポール集電がZ型パンタグラフの交換されましたが、その他は大きな改造も無く嵐山線の保線工事用として活躍しています。

京福電鉄叡山線と嵐山線は2代にわたって同じ設計の保線用貨物電車が在籍していました。

嵐山線 フモ501形501→モト1001形1001
叡山線 デワ101形101→デト1001形1001

どちらも新製時からトロリーポールを装備した日本最後の電車です。1975年に嵐山線ではトロリーポールによる集電が廃止となり、Z型パンタグラフに交換されています。

叡山線デワ101形101

写真6の嵐山線のフモ501形501は京福電鉄叡山線のデワ101と同形でした。

戦時の配電統制令で京都電燈が解散され、鉄道事業を継承するため1942年に京福電鉄が設立されました。京都電燈は京都市内では路面電車として嵐山本線と北野線を経営、鉄道事業として直営の京都電燈叡山電鉄線、子会社による鞍馬電気鉄道を経営していました。福井県では子会社の越前電気鉄道を経営していました。京福電鉄発足に伴い福井県では三国芦原電鉄、越前電気鉄道、永平寺鉄道が合併、京都市内では京都電燈の嵐山本線、北野線、叡山電鉄線と鞍馬電気鉄道が合併となりました。
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