古い車輌の写真

加悦鉄道 1 蒸気機関車 2

RP365 Web#=585 掲載2011/4/24

写真1は蒸気機関車がターンテーブルを囲んで並べられた加悦(カヤ)鉄道の機関区、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫。

加悦鉄道は加悦谷地方の特産物である絹織物丹後ちりめんを京阪神地方へ運搬するために1926年に開業しました。1939年に大江山で採れる蛇紋岩を原料として重要な軍需物資ニッケルの生産が大江山ニッケル工業、後に親会社の日本冶金工業の手で始まりました。丹後山田から日本冶金岩滝工場までと加悦から鉱山前までの専用線が設けられました。蛇紋岩は量こそ大量にあったものの貧鉱でしたが、ドイツから導入した技術(クルップ・レン法)でフェロ・ニッケルの生産に成功しました。

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写真2〜5は2号蒸気機関車、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫。

戦争が終わるとニューカレドニア島から安価なニッケル鉱石が輸入され始め、大江山鉱山が閉山となり、加悦から鉱山前までの専用線は廃止となりました。

1985年の国鉄ダイヤ改正で宮津線の貨物輸送が廃止され、それに伴い丹後山田〜岩滝工場間の専用線も廃止となりました。専用線の輸送業務委託料が無くなったことで加悦鉄道は1985年に廃止されました。

2号はたくさんの古くて珍しい車輌を擁した加悦鉄道の中でも、飛び切りの至宝と言うべき蒸気機関車です。

この2号機は1874年の阪神間鉄道開業に伴い鉄道作業局がイギリスのロバート・スティーブンソン社(Robert Stephenson & Co.)から4両が輸入した蒸気機関車4輌の内の1輌で、当初は16号でした。

1876年に阪神間の機関車を偶数とする改番が実施され、16は12と改番されました。
1894年にこの4輌はF形と言う形式を貰いました。
1909年に制定された鉄道院の形式称号規程で120形123にとなりました。

1915年に簸上鉄道(現在のJR西日本木次線の一部)に払下げられ、2号機となりました。
1926年に加悦鉄道へ譲渡され、1956年ごろまで活躍していました。
2005年に車暦簿(機関車台帳)とともに国の重要文化財として指定。

写真でごらんのように運転整備重量が23.0t、全長8.3mの小型機関車でした。使用蒸気圧は8Kg/平方センチメートル、動輪直径が1346mmもあり、旅客列車用として設計されておりました。平坦線では速度は出ても力はそれほどでは無かったと思われます。

1977年に加悦鉄道の後身カヤ興産が加悦駅跡に加悦鉄道で活躍した車両を展示するために加悦SL広場を開設しました。その後1996年に大江山鉱山駅跡に移転し再開され、今も加悦SL広場で公開されています。

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