古い車輌の写真
加悦鉄道 2 蒸気機関車 4、1261
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RP366 Web#=586 掲載2011/4/25写真1と2は4号蒸気機関車、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫。 この蒸気機関車はナスミス・ウィルソン社製1200形の設計を模倣して川崎造船所兵庫工場で合計7輌製造されました。全長7.7m、運転整備重量27.7t、使用圧力8.4Kg、動輪直径1067mm、C型サイドタンク式蒸気機関車で、写真3〜5の1261と比べて角張った勇ましい印象を与える蒸気機関車でした。

河東鉄道が1921年に1形1、1922年に2と3、1923年に4の合計4輌が川崎造船所兵庫工場で製造。 1926年に河東鉄道は電化、社名が長野電鉄に変更。 1934年に予備機として残っていた3が加悦鉄道に譲渡され4となりました。 1940年に空気ブレーキが取付られました。 1967年まで旅客、貨物輸送の主力機としてよく使われていました。現在は加悦SL広場で静態保存されています。
1261

写真3〜5は1261号蒸気機関車、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫. この蒸気機関車の原設計はイギリスのDubs製1480形で、その払い下げを受けた八幡製鉄所が同系機を3輌1921年に日本車輌で製造しました。手ごろな大きさで強力であったために日本車輌は地方の中小私鉄にたくさん納入しました。所謂日車タイプのCタンクで、日本中の地方私鉄や専用線で見られました。 全長8.3m、運転整備重量32.7t、使用圧力12.5Kgの飽和式C型サイドタンク式蒸気機関車。

1923年に簸上鉄道(現西日本旅客鉄道木次線の一部)が1923年に日本車輌製造で5形5と6の2両を製造しました。 1934年国有化され鉄道省1260形1260と1261になり、鷹取工場の入換用に使われました。 1943年に2輌共大江山ニッケル鉱業に譲渡されました。同社は1943年に日本冶金工業に合併され、その子会社である加悦鉄道に車籍編入されました。

1261は1947年に日本ニッケル鉄道(後の2代目上武鉄道)に貸し出され、1949年に返却されました。その後は加悦鉄道で使用され、現在は加悦SL広場で静態保存されています。全体に少し丸みを帯びた優しいデザインの好ましいスタイル小型蒸気機関車で、懐かしい故郷ののんびりとした情景を象徴しているように見えます。

4も1261も昭和初期の地方私鉄で使われていた典型的な小型蒸気機関車で、数輌のワやワフ、トフとマッチ箱と称されていた2軸の客車ハやハブが連結された混合列車を牽引していました。
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