古い車輌の写真

加悦鉄道 4 C57とC58

C57 189

RP368 Web#=588 掲載2011/4/27

写真1〜3は国鉄C5形C57 189、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫。

加悦SL広場に保存されているC57 189は1946年に三菱重工で製造され、新潟機関区に配属されました。1949年に直江津機関区に転属、1966年新津機関区、1971年に豊岡機関区、そして1973年に廃車。

加悦鉄道が接続していたのは国鉄宮津線の丹後山田駅(現在は第3セクターの北近畿タンゴ鉄道野田川駅)でした。宮津線はローカル線で豊岡機関区所属のC58形や西舞鶴機関区所属の9600形しか入線しませんでした。したがって加悦鉄道の車輌達が接続駅でC57形を見ることは殆んどありませんでした。

C58 390

写真4と5は国鉄C58形C58 390、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫。

加悦SL広場にC58 390が保存されていますが、加悦鉄道とは殆んど縁が無い蒸気機関車です。1946年に汽車製造で製造され、ずっと北海道の北見機関区に所属していました。受け持ちは新旭川-網走間の石北本線と北見-池田間の池北線で、1975年に北見機関区で廃車となり加悦SL広場で保存されるようになりました。

加悦SL広場にはこのように地方非電化私鉄である加悦鉄道とは縁の無い車輌までもが保存展示されています。

国鉄C57 189、C58 390、キハ08 3、キハ10 18、元東急の電車サハ3104、元南海の電車モハ1202、国鉄の車掌車ヨ2047、京都市電N5等は地方私鉄を再現したレイアウト・セクションのような加悦SL広場に、似つかわしくないと思うのはサイト・オーナーだけでしょうか?

京都市電 N5

写真6は京都市電のN5、1965/1/17 阪急の宝塚ファミリーランドで展示していた頃。

梅鉢鉄工所で1910年頃製造されました。京都市電では狭軌1形N133という番号でしたが、後に23に改番されました。1961年の京都市電北野線廃止に伴い廃車宝塚ファミリーランドへ譲渡され展示されていました。元N5は1919年に神戸伊藤商事株式会社に33輌まとめて譲渡され、その後は不詳です。元5は明治製菓大阪工場へ状と競れています。復元に当たって付けられた標記N5はどういう経緯があったのでしょうか? 宝塚ファミリーランドの閉鎖に伴い加悦SL広場に持ち込まれて保存されています。

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