古い車輌の写真

加悦鉄道 7 客車改造ディーゼルカー

キハ08 3

RP371 Web#=591 掲載2011/4/30

写真1〜4はキハ08 3、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫。

このディーゼルカーの歴史は大正時代に鉄道省が、1919年から1927年までの間に大量に製造したナハ22000形木造客車(当初ホハ24400形→改番ナハ24400形→改番)にまで遡ります。その系列の中核をなす3等座席車は合計1790両も量産されており、戦後のオハ61系への鋼体化実施まで国鉄の旅客輸送を支える客車として全国で活躍しました。

経年と戦争中の酷使による老朽化のために、ナハ22000系の全長17mの台枠に鉄道院基本形客車(ホハ12000など)の台枠部材を4等分して挿入し、全長20mのオハ60系鋼製客車とする鋼体化改造工事が行われました。

国鉄はディーゼルカー不足を補うために余剰となっていたオハ60系客車ディーゼルエンジンを装備して気動車化する改造を1960年から1963年にかけて合計14輌行いました。

非力な180psのDMH17Hエンジン1台による1軸駆動でこの古くて重い20mの鋼製車体を走らせるのは無理があって、量産はされずに平坦線でのローカル運用についていました。

1974年に国鉄から加悦鉄道に譲渡されましたが、1980年に国鉄からキハ10形キハ10 18が譲渡され、キハ08 3が活躍できたのは6年間だけでした。

全長19.9m、自重38.9t、定員76名、動力台車は気動車用のDT22A、トレーラー側台車はTR51A、エンジンはDMH17H、出力180Hp。

国鉄盛岡工場で鋼体化改造ナハ22459 → オハ62 130(オハ60系北海道寒向けのオハ62形最終車)
1962年国鉄苗穂工場でディーゼルカーに改造しキハ40形キハ40 3。
1966年新しいキハ40系に形式を譲りキハ08 3と改番。
1974年に加悦鉄道鉄道に譲渡。
現在は加悦SL広場で保存されています。

木造大型三等客車オハ62130を、昭和30年(1955)に国鉄盛岡工場で鋼体化改造、さらに昭和37年(1962)に苗穂工場で気動車化した3輌のうち唯一の生き残り。釧路に配属後昭和49年(1974)譲受。輌運転台。二重窓耐寒仕様。昭和60年まで稼動。
製造会社:国鉄盛岡工場にて改造 1955年製造