古い車輌の写真

加悦鉄道 8 明治期の客車

ハ4995

RP372 Web#=592 掲載2011/5/1

写真1〜2はハ4995、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫。

ハ4995は1893年新橋工場で作られた所謂マッチ箱です。そのときの経営主体は逓信省鉄道局か逓信省鉄道庁でした。
1936年に鉄道省からハ4995の払い下げを受け、加悦鉄道ではハ20形ハ21となりました。このときにハ4999も払い下げを受けてハ20形ハ20で就役しています。明治時代によく見られた典型的な区分室形客車でしたが、入線に際してどちらも昭和初期に地方鉄道向けによく作られていたタイプの木造車体を新造して載せ換えました。

余った古いハ4995の車体は加悦駅構内でダルマ状態で倉庫として使われていました。
1970年になってからハ20の1935年製車体を降ろして、その台枠の上に倉庫となっていたハ4995の旧車体を載せて、古典客車に復元する工事が行われました。つまりこの時に車体と台枠が入れ替わりました。

1990年に車体部分の大修理が実施され、現在は加悦SL広場で保存されています。

ハブ3

写真3〜5はハブ3、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫。

九州鉄道(1907年国鉄が買収)が1889年にドイツのファン・デル・チーペン(Van der Ziepen)で製造しました。
1922年に鉄道省から伊賀鉄道に払い下げられ、ハブ2として就役しました。
1927年に加悦鉄道に譲渡されハブ3形ハブ3として竣工。

1970年の大阪万博Expo70に元九州鉄道のクラウス社製製蒸気機関車17とともに出展、短い区間を火を入れて運転されました。万博に出展する際に屋根の妻面先端が平に改造されています。

片側がオープンデッキの木造三等緩急車で全長8.3m、自重5.5t、定員24名でした。

荷物や車掌さんと一緒に乗客を運んだ木造の合造車、小さな地方鉄道によく見られてものでしょう。大きな荷物扉とステップ、開放的なデッキ、Cタンクが牽く2〜3輌編成の列車最後尾に付けられた赤いランプ・・・強くノスタルジーを訴えてくるものがあります。

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