古い車輌の写真

加悦鉄道 9 昭和初期の客車

ハブ2

RP373 Web#=593 掲載2011/5/2

写真1〜2はハブ1形ハブ2、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫。

1916年伊賀鉄道は名古屋電車製造所でハ1を製造。
1927年加悦鉄道に譲渡、フハ1形フハ2として就役。
何時の時代か不明ですがハブ1形ハブ2と改番。
1991年車体部分の大修理が実施されていますが、車体標記が元のフハ1形フハ2に戻されたようです。
現在は加悦SL広場で保存されています。

全長7.4m、自重4.8t、定員40名、シングルルーフでオープンデッキの木造四輪単車。

ベスティビュ−ルが付いていますが、写真1と2で妻面の窓の数が違っているのはなぜでしょうか? 外から見ると車内のクリーム色の塗装が目立ちます。

ハ2、ハブ6 ?

写真3はハ1形ハ2またはハブ6、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫。

下の記事のように、この客車はハ1形のハ2もしくはハ1形ハブ6のどちらかと思われるものです。全長7.5m、自重6.4t、定員40名。
1925年に和歌山鉄道が梅鉢鉄工所で製造。
1943年日本冶金が購入し.2とNo.6。
1947年に加悦鉄道に譲渡されハ1形ハ2とハ6になりました。これがいつ頃ハ1形ハ2とハブ6になったのかは不詳です。

ハ20

写真4はハ20形ハ20、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫。

前のページのハ4995の記事も参照してください。
1936年に鉄道省から払い下げを受けたハ4999は、入線に際して新しく作った車体に載せ換えられ、ハ20形ハ20として就役しました。
1970年にハ4995を復元する際の、元のハ21ではなくてハ20の車体を下ろして載せ換えが行われました。
余ったハ20の車体は写真4のようにハ2かハブ6の台枠に載せられて放置されていました。元のハ20は全長8.1m、自重5.7t、定員名32、木造シングルルーフの四輪単車でした。

ハ21

写真4はハ21形ハ21、1976/12/4加悦鉄道加悦機関庫。

1936年に鉄道省から新橋工場で作られた所謂マッチ箱ハ4995の払い下げを受け、車体を載せ換えてハ20形ハ21となりました。
1970年にハ4995を復元する際、元のハ21ではなくてハ20の台枠に載せられ、ハ21はそのまま残りました。

全長8.0m、自重6.9t、定員名32、木造シングルルーフの四輪単車でした。