古い車輌の写真

水間鉄道 1

RP375 Web#=595 掲載2011/5/4

大阪府貝塚市にある水間鉄道は、終点にある水間寺の参詣客をの便宜を図るために開業しました。当時はまだ信仰が人々に大きな影響を与えていたのでしょう。水間観音で有名な新西国第四番、龍谷山水間寺は天平年間(729年〜749年)に聖武天皇の勅願により行基が創建したものと伝えられています。江戸時代には岸和田藩主帰依を受けて寺運は隆盛しました。現在の堂宇は江戸時代後期の1811年に再建されたものです。

1923年水間蒸気鉄道の敷設免許が下付され、株式募集に着手。
1924年水間鉄道株式会社設立。
1925年第1期工事区間が完成し貝塚南〜名越間を直流600V電車2輌で開業。
1926年第2期工事区間名越〜水間間を開業。
1934年南海鉄道(現南海電鉄)貝塚駅乗り入れ。
   これで営業距離は5.5kmとなりました。
1946年と1948年に水間車庫で火災が2度発生し電車4輌を焼失。
1950年清児〜粉河間の新線建設の敷設認可が下りました。
    この計画は資金不足のために実現しませんでした。
    乗合バス事業認可。

1971年〜1973年に南海電鉄から1201系を12輌譲渡され、全車両を置換。
1977年から1201形の更新修繕を行い501形と改番。
1990年東急よりステンレスカー7000系を10輌購入。
2005年大阪地方裁判所に会社更生手続き開始申請し経営破綻。
2006年7000系の内8輌を更新して1000系2連X4本としました。
2007年株式会社グルメ杵屋の支援を受けて会社更生手続き完了。

このように営業距離5.5kmと短い私鉄ですが、その歴史は波乱万丈と表現すべきでしょう。
車輌も開業以来2輌単位で増備を続けていました。特にモハ251を購入する際には株式の増資を行ったと聞いています。親会社だった南海電鉄の昇圧に際して大量の1201系電車を購入し、それまでの雑多な電車(新車として購入したものも)を廃車にして整備作業の合理化を行いました。

私は都合3回水間鉄道を訪問しています。最初は1969/11/9で何回の検車区を訪問した時に南海電鉄の貝塚駅プラットホームから撮影。

次は1970/11/3で水間鉄道独自の新車、元高野山電気鉄道、淡路島の元淡路交通、親会社の元南海電鉄と雑多な電車が次々をやってくる愉快なところでした。水間鉄道の車両整備を請け負っていた関西交通工業社は阪急電鉄の仕事もやっていたため、阪急の塗料で塗装したようです。しかし実見したところ艶のある現在の阪急マルーンとはかけ離れたくすんだ色合いで、錆止め塗装のような印象が残っています。

3度目は1977/11/20で南海電鉄の1201系が更新修繕を受けて501系となって活躍中でした。この時はクリーム糸と赤という派手目の塗装が施されていました。増資をして新車で購入したモハ251形2輌までも捨てて、南海電鉄の古い中古車に総入替した意図がよくわかりませんでした。

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