古い車輌の写真

水間鉄道 3 361、381、364

381

RP377 Web#=597 掲載2011/5/6

写真1と2はクハ380形381、1970/11/3水間鉄道水間観音駅。

南海電鉄では1939年から木南車輌製造で古い木造車のうち前面が5枚窓丸形(所謂タマゴ形)の部材を流用して簡易な工程で車体の鋼体化改造を実施しました。種車の主要機器はもちろんのこと台枠や屋根、天井、窓枠、扉に至るまで再利用、当然ながら窓は小さく扉は狭く陰気な印象を与える電車になってしまいました。

この381に該当する南海時代の番号の変遷は複雑ですが、最終的にはクハ1821形1821となりました。南海では木造車に次いで淘汰の対象となりました。

1966年に南海電鉄から譲渡を受けてクハ381形381となりました。
1971年にはもう廃車となり、水間鉄道での活躍期間は短いものでした。

361

写真3はモハ361形361、1969/11/9水間鉄道森駅?。

このモハ361形361も上記の381と同じような経歴を持っています。南海電鉄では最終的にモハ1031形1037となりました。
1966年に南海電鉄から譲渡を受けてモハ361形361となりました。
1971年に381と同じく廃車となりました。

364

写真4はモハ364形364、1970/11/3水間鉄道森駅?。

1928年に高野山電気鉄道は日本車輌本店で開業に備えてデ101形デ101〜108の8輌とデニ501形デニ501と502の2両を製作しました。1928年に開業したこの区間は50‰の急勾配と急カーブが続くため、特別な登山電車としての装備を持って就役しました。登場時は使用電圧1500V、空気ブレーキのほかに回生/発電ブレーキと電磁吸着ブレーキを装備、出力は52KwX4でした。長さは15mですが特殊装備と全鋼製車体のために自重が36tもありました。屋根には大きなヘッドライトが左右に分けて2灯も搭載され、リベットだらけのゴツゴツした車体や深い屋根と相俟って、深く険しい山に挑む厳めしい表情を持っていました。

365

写真5はモハ360形365、1970/11/3水間鉄道森駅?。

1949年のデ101形はモハ561形561〜568に改番されました。その後デニ501形は荷物室を撤去してモハ561形569に改番されました。
1963年から更新修繕が行われ、車体のリベットがなくなりました。また制御器を交換して電力回生制動が出来なくなり平坦線専用として汐見橋線汐見橋駅〜住吉東駅の区間で使用されていました。

写真6は346+365、1970/11/3水間鉄道森駅?。

1969年に最後まで南海電鉄に在籍していた562と569が水間鉄道に譲渡され、モハ364とモハ365になりました。
1971年から始まった南海1201系の譲渡に伴いごく短期間の活躍で廃車となってしまいました。
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