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RP378 Web#=598 掲載2011/5/9写真1はモハ501形501、1977/11/20水間鉄道水間車庫。 1933年に製造された南海電鉄のモハ1206を譲り受けてモハ501としました。両運転台、二段窓で単行で用いられていました。 南海電鉄のモハ1201系は、南海鉄道時代の1934年から1943年にかけて木造車の鋼体化名義、新造扱、火災被災車の復旧名義そして戦災復旧名義での車体新製で、合計72両が製造されました。
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写真2はモハ501形502、1977/11/20水間鉄道水間車庫。 1935年に製造された南海電鉄のモハ1207を譲り受けてモハ502としました。両運転台、二段窓で単行で用いられていました。 モハ1201系はモハ1201形の他にモハ1051形、モハ1021形、モハ1551形、クハ1901形があり、相互に改造改番が行われ経歴は複雑怪奇でした。
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写真3はモハ501形503、1977/11/20水間鉄道水間観音駅。 1942年に製造された南海電鉄のモハ1239を譲り受けてモハ503としました。両運転台、一段窓で単行で用いられていました。
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写真4はモハ501形505、1977/11/20水間鉄道水間車庫。 1942年に製造された南海電鉄のモハ1237を譲り受けてモハ505としました。片運転台、一段窓で単行で用いられていました。
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写真5はモハ501形506、1977/11/20水間鉄道貝塚駅、写真6は水間観音駅。 水間鉄道の500系は、在来車を一掃するため1971年〜1973年にかけて、昇圧で使わなくなった南海1201系を譲り受けたものです。当初モハ501〜510とサハ581、582で運用されていました。
1984年にモハの内3両がクハ551形となり3輌固定編成を2本、2輌固定編成を3本として永く運用されていました。 1990年東急から7000系が導入され廃車されました。
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