古い車輌の写真

有田鉄道 1 キハ07、DB-20

キハ07 206

RP380 Web#=600 掲載2011/5/12

写真1〜4はキハ07形キハ07 206、1971/10/24有田鉄道藤並駅。

有田鉄道は蜜柑の栽培が盛んな和歌山県の有田川周辺から積み出し港であった湯浅港までを結ぶために1915年に開業しました。
1916年に海岸駅から金屋口駅まで9.1kmまで延長されました。

1926年に藤波駅〜海岸駅が並行線となる鉄道省の紀勢西線が開通、有田鉄道も連絡駅である藤並駅から国鉄線を通して蜜柑を満載した「蜜柑列車」が全国へ運行されるようになりました。
1944年に戦争のため並行している藤波駅と海岸駅の区間が休止となり、有田鉄道の車輌は国鉄紀勢線藤波駅から湯浅駅まで乗り入れをするようになりました。
1959年に休止していた藤波駅と海岸駅の間が廃止。
1984年に蜜柑輸送がトラック輸送にシフトして行ったため貨物営業の廃止。

1992年に信楽高原鐵道の正面衝突事故の影響で国鉄線乗り入れが廃止。
2001年からは列車の運転本数が1日2往復まで削減されました。乗客は並行する有田鉄道バスを利用できたので、さしたる不便はありませんでした。
2002年にとうとう鉄道線は廃止となりました。

山梨県の富士急行より譲渡されたキハ58003と岐阜県の樽見鉄道から譲渡されたレールバスのハイモ180-101の2輌は金屋口の車庫で永らく保管されていました。
2010年に有田川町鉄道公園が開園し2輌とも動態保存車となっています。

1952年鉄道省のキハ42608と42609として新潟鐵工所で竣工。
1957年車輌称号規定改正に伴いキハ07 109と110に改番。
1960〜1963年に機械式変速機からTC-2形液体式変速機に交換、キハ07 206とキハ07 207に改番。
1969年美濃太田機関区で廃車となり有田鉄道に譲渡。富士急行からキハ58が譲渡されると置換廃車となりました。

DB-20

写真5と6はDB20形DB-20、1971/10/24有田鉄道藤並駅。

蜜柑輸送に活躍したディーゼル機関車です。1965年日本輸送機で製造、全長6.0m、運転整備重量15.0t、車軸配置B、エンジン形式DMF-13C、出力140Hp

自重は15tで、国鉄では貨車移動機のレベルのディーゼル機関車でした。

   前のページ 次のページ