古い車輌の写真

有田鉄道 3 キハ250

キハ250

RP382 Web#=601 掲載2011/5/17

写真1〜5はキハ250形キハ250、1971/10/24有田鉄道金屋口車庫。

熊本県植木町(現在の熊本市)の植木駅から山鹿温泉(ヤマガオンセン)までの20.3kmを結んでいた山鹿温泉鉄道という小規模な私鉄がありました。

1953年熊本6.26大水害により大きな被害を受け、約4か月間不通となりました。
1957年にも集中豪雨により被害を受け、起点に近い植木駅〜植木町駅の間で築堤が崩壊し復旧不可能、起点側が休止に追い込まれました。
1960年に他の区間は復旧できていたのですが、全線休止となりました。
1965年にはとうとう全線廃止となりました。

山鹿温泉鉄道は新潟鐵工所に発注していた湘南型のスマートなディーゼルカーの新車(キハ3とキハ4になるはずでした)をあきらめて、1955年に大阪市交通局から中古のボンネットバス2台(進駐軍から放出されたGMCウェポンキャリアの改造車)の払い下げを受け、単端式気動車2両に改造して運用していました。注文流れの在庫となったキハ3は有田鉄道へ、キハ4は茨城交通茨城線に格安で引き取られました。

キハ3の仕様は全長19.5m、自重28.0t、定員144名、バーフレームの2軸ボギー台車、エンジン形式はDMH17Bで出力160Hp。

キハ07 206と207が入線するまで使われていました。写真でご覧のように低い山鹿温泉鉄道のプラットホームに合わせて客用扉に大きな2段ステップが3箇所ぶら下がっており、TMSの鉄道車輌401集では田舎くさいと評価されていました。

茨城交通 ケハ401

写真4はケハ401形ケハ401、1975/6/7茨城交通茨城線那珂湊機関区。

山鹿温泉鉄道のキハ4になる予定だったディーゼルカーで、水害で引き取れなくなってメーカーで在庫になっていたものを茨城交通茨城線が購入しました。
1955年新潟鉄工所でケハ401として竣工し、茨城交通茨城線に配属。
1971年に茨城線が全線廃止となり、ケハ401は湊線(現在のひたちなか海浜鉄道)に転属。

1957年にケハ401と殆んど同形のケハ402が新潟鐵工所で作られて茨城交通湊線に配属されました。