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RP385 Web#=605 掲載2011/5/21写真1はモハ20形25、1971/10/24野上電鉄日方駅。 1916年野上電鉄は棕櫚を使ったタワシなどの特産品を沿線から日方(ヒガタ・現在の海南市)にある港へ運ぶために開業しました。 1966年小口扱い貨物廃止。 1971年化無知輸送がトラックに移行してしまい車扱貨物廃止。 1994年全線廃止。
車庫全景
写真2は野上電鉄日方車庫の全景を連絡口駅(日方駅の構内扱で距離は0.2km)から望む、1971/10/24。 サイト・オーナーは野上電鉄日方車庫を1971年と1977年の2回訪問しています。どちらも快く庫内での撮影を許可してもらい、ローカル電車の暖かさを満喫して帰りました。ところが聴くところによると廃止間近に多数の古参社員が退職し、若い人を補充に大量採用したところ、鉄道ファンではない日常の定期利用客に対しても一部の職員が罵詈雑言を浴びせる等の行為を行っていたため地元の住民からも見放される形になったのは悲しいことです。
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写真3はデ10形13、1977/11/20野上電鉄日方車庫。 交付された補助金で、老朽化した在籍車置換のために富山地方鉄道軌道線からデ5031、5034、5035、5037の4輌を譲受けました。日方車庫で整備中にデ5034が火災に逢い焼失したので、部品取用のデ5035が整備され、計画通り3輌が就役しました。デ11はデ5031、デ12はデ5035、デ13はデ5037です。野上電鉄では唯一の戦後製(1951年製)で、パンタグラフ集電でした。末期には12が休車となり、デ11とデ13だけが運用についていました。
富山地方鉄道軌道線デ5040
写真4は富山地方鉄道軌道線デ5000形デ5040、1973/6/2富山地方鉄道南富山検車区。 これはデ10形の元となった車輌で、1950年に富山地方鉄道が日本車輌本店と汽車会社で大量に増備しました。全長12.6m、自重16.0t、定員80名、出力50PsX2。野上電鉄に行ったデ5000形は出入口のステップを取り除いたために軽快なスタイルになりました。
水間鉄道モハ501
写真5は水間鉄道モハ501形501、1977/11/20水間鉄道水間車庫。 古くなった電車を取り替えるために水間鉄道で廃車になったモハ500系(元南海電鉄モハ1201系)のモハ501、503、507、クハ552を購入し501系として就役させる計画でした。ところが電車の重量が鉄橋の許容荷重を超えていたために、車庫の端に留置されたまま解体処分されてしまいました。
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写真6は番号不詳の無蓋車、1971/10/24野上電鉄日方駅。 この無蓋車は保線用と思われますが、本線を走行できる状態ではなかったと記憶しています。 野上電鉄は国鉄海南駅との間で貨車の授受を伴う貨物営業も行っておりましたが、貨物がトラック輸送に移行したため1971年に貨物取り扱いをやめています。野上電鉄は小型の有蓋貨物電車デワを持っていましたが早期に廃車となり、国鉄の貨車は1輌ずつ電車で線内の貨物取扱駅まで牽かれていきました。
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