古い車輌の写真

野上電鉄 2 23、24

23

RP386 Web#=606 掲載2011/5/22

写真1はモハ20形23、1971/10/24野上電鉄日方車庫。

1911年に箕面有馬電気軌道(現在に阪急電鉄)は開業に備えて木造車体の1形電車を33両(1〜33)新造しました。このうち19〜28は汽車製造会社(現在の川崎重工業)で製造されました
1927年〜1928年に腰板等に鋼板を張る簡易半鋼体化が実施されました。この際に前面が改造され平妻化と貫通扉取付改造が実施され原型とは全く異なる形態になりました。

写真2は新塗装のモハ20形23、1977/11/20野上電鉄日方駅〜連絡口駅間。

1952年までに1形はさらに完全な半鋼製車体に改造され広幅貫通路の設置や窓の拡大が行われ、今津線などで活躍しました。
1957年に野上電鉄は1形26の車体を譲受け、中古台車と電装品を組み合わせて23となって就役しました。移籍当時はトロリーポール集電でしたが、後にZパンタグラフに取替られています。シングルル−フに改造されていたので、阪急の面影を残したまま路線廃止まで在籍していました。

写真3と4はモハ20形24、1971/10/24野上電鉄日方車庫。

1957年に23と同じような経歴の阪急1形3の車体を譲受けて小改造の上、中古の電装品や台車と組み合わせて24として就役しました。車体はダブルルーフのままで23のような大規模な改修は行われませんでした。
1961年に阪神電鉄601形604の車体を譲受けて載せかえられました。601形は1924年に阪神電鉄が初めての鋼製車として藤永田造船所で371形として20輌が新造され、1929年に600形に改番されました。車体はその前に作られていた木造車311形の車体と同じ設計の前面5枚窓丸妻を踏襲しています。

写真は濃い緑色に黄色の線と言う旧塗装でしたが、後にクリーム色と赤という新塗装に塗り替えられました。
1990年頃に、明治製菓のCM撮影のため広告塗装車となりました。契約期間終了後もそのままの塗装で営業廃止まで活躍しました。
その後阪神電鉄に返還され、尼崎センタープール前駅近くの高架下で保存されています。現状は塗装だけが阪神の小型車時代に戻されていますが、Z型パンタを載せており、南海電鉄3フィート6インチゲージ(1067o)用中古台車を履いたままです。