古い車輌の写真
野上電鉄 3 25、27、31、32
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RP387 Web#=607 掲載2011/5/23写真1はモハ20形25、1971/10/24野上電鉄日方車庫。 25と26、27は阪神電鉄の701形704、710、707の譲受車です。 1905年に阪神電気鉄道は開業に備えて1形1〜50の50輌を製造しました。 1923年に総括制御に改造されていた41〜50の10輌の車体更新を行い291形としました。 1932年に木造車体であった291形は鋼体化改造が実施され901形901〜910となりました。 1940年に881形の増備によって701形に改番されました。

写真2は新塗装のモハ20形25、1977/11/20野上電鉄日方車庫。 1954年以降の新型電車の登場に伴い、非貫通式の両運転台車で加速性能が悪い701形は最初に淘汰の対象となりました。 1954年に704と710、1959年に709が廃車となり野上電鉄に譲渡され、永らく愛用されていました。 1994年の野上電鉄廃止のときの最終列車は24+25+26の編成でした。
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写真3はモハ20形27、1977/11/20野上電鉄日方車庫。 1960年に阪神電鉄から譲渡された27が野上電鉄で竣工しました。最初はボールドウインのイコライザー台車をはいていましたが、後に南海電鉄の中古品のブリル台車に履き替えています。 1994年の廃線に至るまで活躍しました。現在は沿線の田伏医院で大切に屋根付きで保存されています。
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写真4はモハ30形31、1977/11/20野上電鉄日方車庫。 1921年に阪神電鉄は321形321〜330と331形331〜370の合計50輌を新造しました。 1934年から1935年にかけて阪神電鉄は321形と331形の機器を使って日本車輌で鋼体化工事が実施され1121形1121〜1140となりました。 1962年に野上電鉄に譲渡された1121形1130は、直角カルダン台車の試験車として使用されたことがあります。 1963年に1130は野上電鉄の3代目31として就役しました。31と32は側窓の上に明かり採りの窓が残されており、明るい印象を与えています。廃止後は広告看板を外されて再塗装の上線路に近い野上町のくすのき公園に屋根付きで保存されています。
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写真5はモハ30形32、1971/10/24野上電鉄日方車庫。 1936年に阪神電鉄は331形の残り全車10輌を種車にして日本車両製造と田中車輌で鋼体化改造を実施し、1141形1141〜1150となりました。 1959年から赤胴車3501形とジェットカー5101、5201形の投入によって本格的な廃車が始まりました。 1964年に阪神電鉄1141形1150は野上電鉄に譲渡され、32として就役しました。 廃線後32は24と共に阪神電鉄に里帰りし茶色塗装に戻され、現在は尼崎センタープール前駅付近の高架下で非公開で保存されています。
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