古い車輌の写真

阪神電鉄 2 5101、5201

5102

RP390 Web#=610 掲載2011/5/27

写真1は5102形5102、1977/5/8阪神電鉄芦屋駅。

1950年頃になると戦後の混乱も収束し、阪神電鉄にとっての長年の課題である大型車導入の機運が高まってきました。1951年に当時電車の先進国であったアメリカからの技術導入で1121形1130をテストベッドにして、カルダン・ドライブの長期試験が行われ、その結果を元に3011形が作られました。
1956年から再度1130を使って今度は普通列車用の大型高性能車の開発が行われ初代5000形5001と5002が作られました。

5212

写真2は5201形5212、1970/5/24阪神電鉄芦屋駅。

1959年から初代5000形の使用実績を踏まえて、両運転台の5101形5101〜5110の10輌と片運転台の5201形501〜5220の20輌が量産型ジェットカーとして登場しました。5201形の内5201と5202はスキン・ステンレスの車体で登場し、ジェット・シルバーと呼ばれました。その外は青とクリーム色に塗装されジェット・ブルーと呼ばれました。

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写真3は5201形5216、1977/5/8阪神電鉄芦屋駅。

ジェットカーの本領は高加速高減速で、起動加速度は4.5km/h/s、減速度は5.0km/h/s、80km/hまで25秒で加速という前代未聞の高性能普通列車用電車でした。私も阪急電車と同じと思って乗車していたところ、発車時のあまりの高加速に転びそうになった印象深い電車です。

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写真4は5201形5231、1977/5/8阪神電鉄芦屋駅。

高加速高減速による酷使が祟って、複雑な直角カルダン駆動装置の保守が大変になり、少しずつ中空軸平行カルダン駆動に交換されていきました。ところが普通車にも冷房化が波及していった時に、それほど古くはなっていなかったのですが初期のジェットカーは廃車となり、新しい2代目5001系で置き換えられました。

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写真5は5201形5236、1977/5/8阪神電鉄芦屋駅。

この記事を書き始めて、私が鉄に目覚めた頃に最新鋭だったジェットカーの殆んどが鬼籍に入っているのに気付き、改めて阪神電鉄の車輌交替サイクルが短いのに驚きました。
1905年就役の1形を更新したのは1921年から、1920年に新造した木造車301形の車体を鋼体化し始めたのは1931年そして1960年からの小型車追放と、阪神電鉄は全車総入替のような大事業を何度も成し遂げています。阪神大震災の時は41輌もの廃車を出しながら復興しているのは驚きです。

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写真5は5201形5266、1977/5/8阪神電鉄芦屋駅。

阪神電鉄で画期的な大型車5101形と5201形は、車体が京福電鉄福井支社と高松琴平電鉄に譲渡されましたが、今でも生き残っているのは元5109だったMC1102の1輌だけです。

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