古い車輌の写真

阪神電鉄 5 7001、7101、7801、7901

7001

RP393 Web#=613 掲載2011/6/3

写真1は7001形7001、1977/5/8阪神電鉄芦屋駅。

1970年から1971年にかけて武庫川車両工業で数々の新機軸を盛り込んだ7101+7001+7002の3輌編成が6本作られ、7801系3次車2輌と連結して就役しました。この7000系は日本初の営業用電機子チョッパ制御車で、ライバルの国鉄や阪急に先駆けて冷房を搭載していました。

7101

写真2は7101形7101、1977/5/8阪神電鉄芦屋駅。

1990年から1993年にかけて7000系は大規模な更新修繕と、併結されていた7800形や7900形も巻き込み、中間に入っている運転台の撤去を伴う編成組換が行われました。その結果2200形+2100形+2000形+2000形+2100形+2200形の6輌編成8本48輌となりました。写真1の7001は2101、写真2の7101は2201に改番されています。
1995年の阪神大震災で写真1と2の編成は急行として三宮駅〜元町駅間を走行中に車体を側壁及び間柱に衝突全車破損となり廃車されました。

7103

写真3は7101形7103、1977/5/8阪神電鉄芦屋駅。

1993年までに7101形7103は更新修繕の結果2201形2203となりました。
1995年の大震災では被害を受けました。
2007年に新たに導入された1000系と交替で廃車となりました。

7835

写真4は7801形7835、1977/5/8阪神電鉄芦屋駅。

1963年から1971年にかけて急行用の小型車の置換のため、7801形7801〜7850(欠番含む)の46輌と7901形7901〜7950(欠番含む、但し7922は3011形3021からの改造)の44輌が川崎車輌、汽車製造、武庫川車両工業で製造されました。
写真4の7835は1969年に武庫川車輌工業で作られました。台車は当初から住友金属工業FS341を履いています。

7838

写真5は7801形7838、1977/5/8阪神電鉄芦屋駅。

写真5の7838は1970年に武庫川車輌工業で作られました。台車は当初から住友金属工業FS341を履いています。
1972年から冷房搭載工事が行われ、1974年に全ての7801系で冷房化が完了しました。

7916

写真6は7901形7916、1977/5/8阪神電鉄芦屋駅。

この第一次7901形付随車はコスト重視のために廃車となった小型車の履いていたボールドウイン製イコライザー台車BW78-25AAのデッドコピー品が流用されていました。やはり乗心地は悪く住友金属工業でFS341Tを新造して履き替えています。
1993年にこの系列の廃車が始まりましたが、1995年の地震で置換計画が延びました。武庫川線用の7861形+7961形2輌編成3本以外は2008年までに廃車となりました。

私の鉄における興味は地方の中小私鉄や専用鉄道に偏っていました。今回阪神電鉄の歴史を紐解いてみると、地方の中小私鉄では考えられないような大きな変革や試練を、何度も通過してきたことがわかります。
1905年に1形50輌で路面電車として開業。
1920年に大型木造車301形80輌を新造して郊外電車に脱皮。
1931年から木造車の鋼体化と新造により小型鋼製車約200輌を製造して木造車全ての淘汰。
1958年から大型車ジェットカーを新造して全ての小型車を淘汰。
1970年7000系による日本初の電機子チョッパー制御。
1983年全車冷房化。
1995年阪神大震災で41輌を失う。
1998年神戸高速鉄道経由で山陽電鉄と相互乗り入れ。
2009年阪神なんば線経由で近鉄と相互乗り入れ。
何度も在籍している全ての電車を置き換えるような改革をやり遂げてきました。「待たずに乗れる」のキャッチフレーズで高加速高減速の過酷な運用で、第一世代のジェットカー5101形や5201形が経年20年ほどで廃車に追い込まれているのは、阪神電鉄の燃えるような前向きの経営を物語っているように思えます。

   前のページ 次のページ