古い車輌の写真

上田交通 別所線 4 クハ252、262

クハ252

RP398 Web#=618 掲載2011/6/9

写真1と2はクハ250形クハ252、1976/6/4上田交通別所線上田原車庫。

1937年、1938年と1940年に神中鉄道(現相模鉄道の相鉄本線)が日本車輌で新造したディーゼルカーで、当初はキハ40形キハ40〜43の4輌が作られました。1939年に故障が相次いだことからキハ50形キハ50〜53に改番されていますが、1940年製の1輌は新製当初からキハ50形キハ54でした。前面は写真3のように3枚窓の流線形でした。

1944年に相模鉄道と神中鉄道の合併後は客車化されホハ50形ホハ50とホハ52〜54(キハ51は神戸有馬電鉄へ売却)になりました。
東急と合併した頃は電車となりサハ50形サハ50、52〜54となっていました。
1949年に相模鉄道に復帰した後、制御車に改造されサハ50、54、53、52の順にクハ1050形クハ1051〜1054となりました。
1951年に改番されクハ1500形クハ1501〜1504となりました。この頃にクハ1502だけが流線形の前面が丸妻半流線型2枚窓に改造され、乗務員扉が付けられました。
1956年に4輌共廃車となりクハ1501と1502が上田丸子電鉄に譲渡されクハ250形クハ252と253になりました。クハ252は当初流線形の姿を保っていましたが、後にクハ253同様の車体形状に改造されましたが、乗務員扉は付けられませんでした。
1986年の1500V昇圧に伴い廃車解体されています。

豊橋鉄道渥美線 クハ2402

写真3はク2400形2402、1984/1/21豊橋鉄道豊橋渥美線高師車庫にて。

上田交通 別所線クハ252と同じルーツを持つ豊橋鉄道豊橋渥美線のク2402です。神中鉄道就役当初はキハ40形キハ42で、上記のクハ1501などと同じような経歴を辿っています。
1956年に廃車されて豊橋鉄道に譲渡されク1504として就役しました。
1964年に片方の連結面に貫通化工事を実施。
1968年の改番でク2400形2402となりました。
1982年に廃車となるまで、原形の流線形の車体のままでした。

クハ262

写真4と5はクハ形クハ262、1976/6/4上田交通別所線上田原車庫。

1923年の1200V昇圧に備えて伊那電気鉄道は両運転台の木造ボギー式電車8輌1〜8を汽車製造東京支店で製造しました。
1926年に1〜3はデ100形デハ100〜102に、4〜8はデ200形デハ200〜204となりました。
1943年に伊那電気鉄道は国有化され飯田線の一部となり、買収されたデ100形とデ200形はそのままの番号で使われていました。

1951年の飯田線全線1500V昇圧に伴い富山港線に転属になりました。この時点でデハ100は制御車化されていて、国鉄の形式はクハ5910形クハ5910でした。
1954年に全車が廃車となりクハ5910は上田丸子電鉄に払い下げられ、初代クハ260形261として就役。
1959年に初代クハ261に東急クハ3220形3224の車体(同車がサハ3360形3362に更新されたときの旧車体)を載せて鋼体化しました。このときに発生した木造の初代クハ261の廃車体が別所線上田原車庫で写真のように達磨さんとなり倉庫として長年使われていました。

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