古い車輌の写真

上田交通 別所線 5 クハ273、3661

クハ273

RP399 Web#=619 掲載2011/6/10

写真1と2はクハ270形クハ273、1976/6/4上田交通別所線上田駅。

1936年に東京横浜電鉄(後の東京急行電鉄)は変電所増設費用を節約するために急行列車用ガソリンカーキハ1形キハ1〜キハ8の8輌を川崎車両で製造しました。ところが期待に反して電車よりも出力(加速性能)が低く、故障続きの上戦争に伴う燃料高騰の影響を受けて早々に売却処分されてしまいました。

1939年にキハ2と写真3のキハ8は五日市鉄道(現在のJR五日市線)に売却。
1939年から1940年にかけて残りの6輌が神中鉄道(現在の相模鉄道)に譲渡。
1942年以降は流線型の前頭部に代燃ガス発生装置を外付けした情けない姿で運行されていました。
1943年には神中鉄道が当時の相模鉄道(後に買収されて現在のJR相模線)に合併されました。
1947年までに旧神中線が電化されたのに伴って、電車に改造されクハ1110形クハ1111〜1115。
1951年に流線形の前面は改造され、改番によりクハ2500形クハ2501〜2505。

1962年に廃車となり、1963年に上田丸子電鉄に譲渡されました。クハ2501がクハ272となり真田傍陽線に配属され、1972年の廃線に伴って別所線に転属され1975年に廃車となりました。クハ2505は写真1〜3のクハ273となり別所線に配属されていましたが1984年に廃車となりました。

原型は写真4のように一種独特の流線形でしたが、改造により元々から電車であったような表情をしていました。ただしガソリンカー用軽量バーフレーム台車がその出自を物語っていました。

鹿島参宮鉄道 キハ42202

写真4は鹿島参宮鉄道キハ42200形キハ42202、1975/6/6関東鉄道鉾田線石岡機関区。
1939年導入直後の石油統制で東急における活躍の場を失い、キハ2とキハ8はすぐに五日市鉄道(現在のJR五日市線)に譲渡されました。
1940年五日市鉄道は南武鉄道に合併、1944年に南武鉄道が戦時買収により国有化され、国鉄キハ2、キハ8となりました。
1950年鹿島参宮鉄道に譲渡され、キハ42200形キハ42201とキハ42202となりました。キハ42201は機械式のまま切妻に改造、キハ651となりましたが、写真4のキハ42202は新製時の流線型を保ったまま1977年まで使用されました。

クハ3661

写真5と6はクハ3660形クハ3661、1976/6/4上田交通別所線上田原車庫。

1926年小田原急行鉄道は開業に備えて日本車両で1形1〜18の18輌を製造しました。
1942年戦争のため東急と合併、デハ1150形に改番。
1944年デハ1158は小田原線の経堂工場で改修工事中に火災で焼失してしまい、暫くそのまま放置されていました。
1947年デハ1150形9輌、焼失していた1158は焼けたままの状態で相模鉄道に譲渡。翌1948年に1158は相模鉄道で復旧され、改番されてデハ1101形の一員として就役しています。
1947年には川崎車両で1158の復旧用の車体が2輌分!も完成しました。戦災で焼失した木造の国鉄サハ25形の台車とこの車体を組み合わせてクハ3660とクハ3661となりました。ただし名義上木造のクハ5213とクハ5222の復旧として辻褄を合わせたようです。つまり1158は復旧名義で合計3輌も電車が出来たしまったわけです。

1975年に東急デハ3300形デハ3310とクハ3660形クハ3661の2輌編成を朝のラッシュ対策として借入れました。改造は最小限で1500Vから750Vの降圧だけだったため、終点の手前にある急勾配を登れず運用が限定されていました。撮影したのはこの時期で、塗装は東急の緑のままでした。
1979年に譲渡を受けデハ3310は両運転台に改造、急勾配を登れる様に改修されて終点まで運用可能になりました。
1983年に東急からクハ3772を譲り受けデハ3310+クハ3772の編成となり、老朽化していたクハ3661は廃車となりました。

   前のページ 次のページ