古い車輌の写真

上田交通 別所線 6 サハ22、24、61?

サハ22

RP400 Web#=620 掲載2011/6/11

写真1はサハ20形2代目サハ22、1976/6/4上田交通別所線上田原車庫。

1934年に丸子鉄道(後の上田丸子電鉄丸子線)は日本車輌製造にガソリンカー・キハ1形1を発注しました。丸子鉄道の路線は1923年に電化されていましたが、停電に備えるため就役させたものです。戦争の影響でガソリン入手困難のためサハ代用。
1948年に中古の電装品と台車を使って電車に改造、モハ310形モハ312と改番、当初は丸子線で就役。
1950年の一斉改番によりモハ3120形モハ3122。
1955年に西丸子線に転属しましたが、1961年の西丸子線休止後別所線に転属。
1967年に初代サハ22が事故に遭い廃車となったために、モハ3122が電装解除して2代目サハ22となり、別所線と真田傍陽線で使用されました。
1972年の真田傍陽線廃線に伴い廃車されました。達磨さんとなった廃車体はその後長く写真1のように上田原車庫で倉庫として使われていました。
1990年になって漸く上田原車庫跡地の整備が行われ解体されました。

サハ24

写真2と3はサハ20形サハ24、1976/6/4上田交通別所線上田駅。

1930年に飯山鉄道(現在のJR飯山線)が日本車輌製造でガソリンカーキハニ1形キハニ1〜5の5輌を製造しました。
1944年飯山鉄道は運輸通信省による戦時買収されました。

1949年にキハニ2と4がエンジン等を撤去して上田丸子電鉄に譲渡され、ハフ100形ハフ102と103となりました。
1950年の改番によりサハ20形サハ21と22に改番。
1951年に同様にキハニ1と3、5が譲渡され、サハ20形サハ23〜25となりました。運用はサハ21〜24が真田傍陽線、サハ25は別所線でラッシュ時の増結用でした。
1972年に真田傍陽線が廃線となりサハ24は別所線に転籍、1980年に廃車されました。

サハ61 ?

写真4はサハ60形サハ61 ?、1976/6/4上田交通別所線上田原車庫。

目黒蒲田電鉄と池上電気鉄道は、大正末期の路線延伸と輸送力強化のために明治末期から大正中期製造の初期の国鉄電車の払い下げを受けて対処しました。
1936年にその木造車モハ30形36〜39の車体を日本車輌で鋼体化し、電装解除のうえ付随車サハ1形サハ1〜4としました。
1942年の大東急発足時にサハ3350形3351〜3354と改番されました。
1965年4両全てが上田丸子電鉄に譲渡され、1967年になって2両がサハ60形サハ61と62として竣工し別所線で就役しました。サハ61は後に真田傍陽線に転属しました。残った2輌は廃車扱いで西武建設に売却され、西武鉄道所沢工場で外板張替などの改造を受け、伊予鉄道に新製扱いで売却されサハ500形となっています。
1972年の真田傍陽線廃線によりサハ61は別所線に戻っていますが、1980年に廃車になりました。写真4のサハ60形は番号が記載されていないのですが、休車状態になったサハ61と思われます。
1986年に別所線が昇圧されると、残ったサハ62も廃車となりました。