古い車輌の写真

北陸鉄道 小松線 モハ3000形

RP402 Web#=622 掲載2011/6/13

北陸地方には国鉄北陸本線の駅から近くの温泉場へ観光客を運ぶ小さな私鉄がたくさん開業していました。モータリゼーションの進行で利用客が大幅に減少して、その多くが廃止に追い込まれました。
1929年白山電気鉄道が国鉄北陸本線小松〜遊泉寺(後に鵜川遊泉寺)間、8駅5.9Km、600V直流電化で開業。
1937年社名を小松電気鉄道に改称。
1945年戦時統合により北陸鉄道へ合併。
1986年全線廃止。

3001

写真1はモハ3000形3001、1973/6/3北陸鉄道小松線小松車庫。

1949年に北陸鉄道が金名線の電化に備えて日本鉄道自動車工業で5両が製造されました。なぜか石川総線に就役しモハ1100形1101〜1105となりました。同年中に一斉改番が行われモハ3000形3001〜3005となりました。

3002

写真2はモハ3000形3002、1973/6/3北陸鉄道小松線小松駅。

モハ3000形は全長14.8m、2扉半鋼製車体、定員100名、就役時の台車は日本鉄道自動車工業製釣合梁式台車NT-28Bでしたが1959年に日本車輌本店製ウィングばね台車のND7に交換、出力37Kw X 4、集電装置はトロリーポールから1958年にZパンタグラフに、次いで1961年に菱形パンタグラフへ交換されていました。

3003

写真3はモハ3000形3003、1973/6/3北陸鉄道小松線小松駅。

モハ3000形は5輌まとまった数が作られたので、転属も5輌まとまって実施されました。
1964年に北陸鉄道金石線(カナイワ)線に転属。金石線は軌道法に準拠していたので排障器を取付ける改造が行われました。

3004

写真4はモハ3000形3004、1973/6/3北陸鉄道小松線小松駅。

1971年に北陸鉄道金石線が廃止になると、また5輌まとまって北陸鉄道小松線に転属となりました。
写真で見られるように同じ設計の車体で作られたモハ3000形ですが、3001〜3004の前面窓Hゴム化、3003の側窓枠金属化、3004のアルミサッシ化、3004だけが小さい窓枠の客用扉鋼製化で各車に個性が出てきました。

3005

写真5はモハ3000形3005、1973/6/3北陸鉄道小松線小松駅。

1963年石川総線時代にモハ3005はモハ5101と衝突事故を起こして車体を大破しています。そして阪野工業所の出張工作でノーシルノーヘッダー、張上げ屋根、両妻面貫通式のスマートな車体に生まれ変わりました。

1986年小松線廃止と同時にモハ3000形は全て廃車となりました。


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