古い車輌の写真

北陸鉄道石川総線 1

RP403 Web#=623 掲載2011/6/17

写真1はモハ3731、1977/3/21北陸鉄道石川総線鶴来駅。

数多くある温泉場を目指して敷設された短い私鉄が乱立したため、戦時合併の結果生まれた北陸鉄道の歴史は極めて複雑です。
1915年石川電気鉄道が蒸気動力の軽便鉄道として新野々市駅(現在の:新西金沢駅)〜鶴来(ツルギ)駅間11.7Kmを開業。直ちに実態に合った石川鉄道と社名を変更。
1921年1067oに改軌と同時に600V直流電化。
1922年金沢電気軌道(馬車鉄道)が1067mmに改軌電化され、石川鉄道線と直通運転を開始。

写真2と3はモハ3703、1977/3/21北陸鉄道石川総線鶴来駅。

1923年金沢電気軌道が石川鉄道を買収。
1927年金名(キンメイ)鉄道が鶴来駅〜神社前駅(後の加賀一の宮駅)間2.1Kmを1067mm軌間の蒸気動力で開業。
1929年金名鉄道が鶴来駅〜神社前駅間を金沢電気軌道に譲渡し電化。

1941年北陸合同電気(現在の北陸電力)が設立され、金沢電気軌道(主に後の金沢市内線)を合併。
1942年北陸合同電気から交通部門を分離して北陸鉄道が設立。
1943年北陸鉄道(現在の石川線)・金石(カナイワ)電気鉄道(後の金石線)・温泉電軌(後の片山津線、山中線、動橋(イブリハシ)線、河南連絡線)・金名鉄道(後の金名線)・能登鉄道(後の能登線、この線だけが非電化)が戦時合併。
1944年北陸鉄道松金(ショウキン)線(1955年廃止)との直通運転を開始。
1945年浅野川電気鉄道(現在の浅野川線)、小松電気鉄道(後の小松線)と戦時合併。
1949年能美(ノミ)線との直通運転を開始。

写真4は鶴来車庫を鶴来駅ホームより、1977/3/21北陸鉄道石川総線鶴来駅。
これ以後は次々と路線廃止が続きます。
1965年片山津線廃止。
1967年金沢市内線廃止。
1971年金石線、山中線、動橋線、河南連絡線廃止。
1972年能登線廃止
1976年石川総線の貨物営業廃止
1980年能美線廃止
1984年金名線休止。
1986年小松線廃止。
1987年金名線廃止。これで残るは石川総線と浅野川線だけになりました。
1990年石川線は冷房完備の7000系(元東急7000系)へ置き換え。
2009年鶴来駅〜加賀一の宮駅間を廃止。

写真5は鶴来駅を出発するモハ3731、1977/3/21北陸鉄道石川総線鶴来駅。

写真5で見られるように古い貨物ホームの上には路線廃止で、もう要らなくなった多くの標識などが積み上げられています。

鶴来車庫の一番端っこにあった側線ですが、少し車体が右に傾いているような気がするのはサイト・オーナーだけでしょうか? それとも大雨の後だったので、路盤に緩みが生じていたのでしょうか?

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