古い車輌の写真

北陸鉄道石川総線 2 モハ3700形

モハ3701

RP404 Web#=624 掲載2011/6/27

写真1と2はモハ3700形3701、1977/3/21北陸鉄道石川総線鶴来車庫。

1927年に名古屋鉄道(初代)は名古屋市電に直通運転するためにデセホ700形701〜705、翌1928年に706〜710の合計10輌を日本車両で新造しました。
1928年にはほとんど同形のデセホ750形751〜758、翌1929年にはその増備車759と760の合計10輌が日本車両で新造されました。
1930年に初代の名古屋鉄道は名岐鉄道と社名を変更。

1927年犬山で行われた陸軍特別大演習視察に伴うお召し列車として、デセホ707+貴賓車トク3(S.C.No.3)+デセホ708の3両編成お召し列車が運行されました。
1935年名岐鉄道は愛知電気鉄道と合併し名古屋鉄道(2代目)となり、全車両に及ぶ改番が行われデセホ700形はモ700形701〜710、デセホ750形はモ750形751〜760となりました。
1940年より鉄道省高山本線から省線の客車による名鉄線内へ直通運転が行われるようになり、モ707〜710のうちの2輌が客車2輌を牽引して運行されました。
終戦直後に進駐軍専用列車用としてモ708と709が指定され、各務原線で使用されていた経歴があります。

モハ3703

写真3〜5はモハ3700形3703、1977/3/21北陸鉄道石川総線鶴来駅。

1948年に名鉄本線の1500V昇圧が実施されましたが昇圧工事対象外のモ700形は各務原線、モ750形は小牧線と広見線に転属となりました。
1964年に各務原線が1500V昇圧となりモ707〜710の4輌は北陸鉄道石川総線に譲渡され下記のようにモハ3700形となりました。
モ707→モハ3701、モ710→モハ3702、モ708→モハ3703、モ709→モハ3704。

名鉄から北陸鉄道石川総線へ譲渡の際に、下記のような大規模な改造工事が行われました。
前後の妻面に貫通扉と幌枠の設置し、正面窓のHゴム化で大きく印象が変化。
運転台を中央から左側へ移設し路面電車色を払拭。
乗務員扉の新設と両端客用扉を縮小、側窓の二段窓化。
ヘッドライトをシールドビーム2灯に交換し極めて不細工になりました。

1978年に名鉄からモ900形4輌の譲渡を受け、モハ3740形3741〜3744として就役したため、1978年にモハ3701と3702が廃車。
1980年能美線廃止に伴いモハ3703と3704が休車。
1987年に東急7000系に置き換えられる形で廃車。

入線時は全長15・0m、自重26.5t、出力63.5kwX4=254Kw、定員100名、台車はボールドウイン形イコライザー式台車のコピーで住友金属工業製ST43形。

名古屋鉄道 モ752

写真6は名鉄モ750形752、1976/1/25名古屋鉄道岐阜工場。

北陸鉄道モハ3700形の原型、名古屋鉄道モ700形とほとんど同じ車体を持つモ750形です。普通のヘッドライトを装備した非貫通の正面と、低いプラットホームに適合したステップ、リベットだらけの車体、厚い屋根などに好ましいローカル電車の面影を残しています。

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