古い車輌の写真

北陸鉄道石川総線 7 ED201、貨車

ED201

RP409 Web#=629 掲載2011/7/15

写真1〜3はED20形ED201、1977/3/21北陸鉄道石川総線新西金沢駅。

1938年金沢電気鉄道(後の北陸鉄道石川総線)が大阪府堺市にあった木南車輌製造でED1形電気機関車ED1号を製造しました。
1941年に火災に遭った温泉電軌に1943年まで貸し出されていました。
1949年に戦時合併で北陸鉄道となり、改番が実施され自重20tに因んでED20形ED201と呼ばれるようになりました。

この電気機関車は南海電鉄に多数在籍していた木南車輛製造製の、独特の車体プロポーション(木南スタイル)を持つB-B凸形の電気機関車のコピーです。台枠は古い南海電鉄のEF1形電気機関車のものを流用、直接制御式のコントロ−ラー、電車用のモーター、ブリル27E1相当の改造台車など中古部品の集積でした。就役当初は2基のトロリーポール集電でしたが、後にZ型パンタグラフを経て普通の菱枠形パンタグラフに換装されています。

1953年にモーターの交換。
1962年には自社工場で台枠を中央で切断して全長を1.7m延長改造。これにより大出力の制御に問題のあった直接制御式から、間接制御式に改造されました。
後に妻面の窓を4枚からHゴム固定式2枚窓に改造、除雪作業のために旋回窓を取り付けました。
1976年の貨物営業廃止までは、貨物列車も牽引していました。その後は除雪専用として夏でもスノープラウを取り付けたまま側線で待機するようになりました。大型のED301亡き後、手ごろな大きさで使いやすい除雪車として今でも活躍しています。

現在の仕様は全長11.1m、運転整備重量29.3t、出力74.6KWX4=298.4KWです。

南海電鉄ED5125

写真4は南海電鉄ED5121形ED5125、1970/11/3南海電鉄南海本線羽倉崎検車区留置線。

南海電鉄に多数在籍していた木南形電気機関車の例です。当時の南海電鉄は電車に交じって高速で運転しなければならなかったために、本線の貨物列車は重連運用、つまりたくさんの電気機関車が必要でした。

ホム1

写真5はホム1形ホム1、1977/3/21北陸鉄道石川総線鶴来車庫。

鶴来車庫の片隅に国鉄のバラスト撒布用貨車ホキ800形の地方私鉄版が留置されていました。

1961年西武所沢工場製(書類上)ですが、実際には1914年製の小倉鉄道の石炭車セム1形を改造したものです。なお1906年(明治38年)創立の小倉鉄道は1943年の戦時買収で路線を失いましたが、現在も同じ小倉鉄道株式会社の社名で福岡県北九州市小倉南区で歯車を製造する会社として盛業中です。
1967年に近江鉄道から譲受けたものです。写真を撮影した頃はほとんど使われなくなって鶴来車庫に留置されていました。


フラットカー

写真6は解体された電車の台枠を流用したフラットカー、1977/3/21北陸鉄道石川総線鶴来車庫。

元は何だったのでしょうか? 短い台枠と軽い路面電車形台車が気になります。

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