古い車輌の写真

広島電鉄宮島線 2 1040、1050

1041

RP411 Web#=631 掲載2011/7/17

写真1はモハ1040形1041、1972/5/1広島電鉄宮島線荒手車庫。

1923年梅鉢鉄工所で宮島線用高床車としてD型D3〜D10の8輌が竣工。
1938年D8は千田車庫で火災に遭い廃車。
1951年自社工場で車体を新造してモハ1040形1041として復旧。
1957年自社工場で連接車に改造、番号はそのままで1041+1042。
1980年に廃車。
連接車に改造される前の仕様は全長11.6m、重量16.9t、定員60名、出力37.3KwX2=74.6Kw、台車は川崎車輛製のブリル。

1042

写真2はモハ1040形1042、1972/5/1広島電鉄宮島線荒手車庫。

1922年梅鉢鉄工所で宮島線用高床車としてC型C1とC2の2輌が竣工。
1938年C2は千田車庫で火災に遭い廃車。
1951年自社工場で車体を新造してモハ1040形1040として復旧。
1957年自社工場で連接車に改造、番号は1042に改番され1041+1042。
1980年に廃車。
連接車に改造された後の仕様は全長21.5m、重量31.0t、定員140名、出力37.3KwX4=149.2Kw、台車は日本車両製のNSK56-48A-2。
観光地安芸の宮島に相応しい軽快で明るい印象のスマートな電車でした。

1051

写真3はモハ1050形1051、1971/5/1広島電鉄宮島線荒手車庫。

1917年〜1925年に京阪電鉄は1形の電装品を流用して木造100形を100〜162の63輌新造しました。
1926年〜1928年に100形の中から20輌を連結運転が可能な制御器に改造して200形としました。
1947年に広島電鉄宮島線に譲渡され、モハ1050形1051。
1953年にナニワ工機で鋼体化改造が行われ、当時流行の正面2枚窓になりました。屋根にベンチレーターを設置する代わりに妻面上部に通風孔が設けられています。
1979年に1051と1052が3000形を近代化補助金制度のため代替廃車。
1982年に廃車になっていた1051と1052は復活、1051はモハ1090形1093に改番。
1984年冷房化。
1991年廃車。

1054

写真4はモハ1050形1054、1972/5/1広島電鉄宮島線広電荒手車庫前駅(現在の商工センター入口駅)。

1917年〜1925年に京阪電鉄は1形の電装品を流用して木造100形を100〜162の63輌新造しました。
1947年に広島電鉄宮島線に譲渡され、モハ1050形1054。
1953年にナニワ工機で鋼体化改造。
1979年に1053と1054が連結車になり、連結面の運転台を撤去して片運化工事と台車の交換。
1982年にモハ1090形1092に改番。
1984年冷房化。
1991年廃車。

写真5はモハ1050形1054、1971/5/1広島電鉄宮島線宮島口駅。

この1054は広告塗装を纏っていた時期に撮影したものです。