古い車輌の写真

広島電鉄宮島線 3 1060、1070

1061

RP412 Web#=632 掲載2011/7/18 修正1 2011/7/24

写真1と2はモハ1060形1061、1972/5/1広島電鉄宮島線荒手車庫。

1957年にナニワ工機(現在のアルナ車両)で1台だけ新造された全金属製カルダン・ドライブの高性能車です。その後宮島線の増備は専用の高床車ではなくて、市内線似も直通できる2000形や2500形にシフトしたため、増備はありませんでした。
1980年ごろに宮島線の高床車が2輌連結に改造された時も、単行のまま残されました。
1989年に廃車解体。

1061は写真のように、なかなかスマートにまとめられたデザインでしたが、1輌だけというのが災いしたようで、1991年の高床車全面廃止に先だって淘汰されました。

全長15.8m、重量27.1t、定員120名、出力45.0KwX4=180.0Kw、プレスで作られた軽量台車は日本車両製のND102。

1078

写真3はモハ1070形1078、1971/5/1広島電鉄宮島線荒手車庫。

1967年に阪急から譲渡される際に2扉から3扉に改造され、塗装が阪急マルーン一色からオレンジ色とクリーム色に変更され、大きく印象が変わっています。
写真の1078は元阪急500形508、写真4の1074は503でした。
市内線の3000形路面電車以降、次々と新しい市内線車輛が就役し、市内線との直通運転が増えてきました。1987年と1988年にモハ1070形はすべて廃車解体となりました。

写真4はモハ1070形1078と1074、1972/5/1広島電鉄宮島線荒手車庫。

1070形の内、宮島方の電車(写真3と4の1074、1078)にはパンタグラフが搭載されていません。宮島方の電車が市内線の千田工場へ単行で入場する場合は、ビューゲルを載せていました。1978年宮島方の電車に西鉄市内線由来の簡易型パンタグラフが搭載されていました。この情報はmixiの親切な友人に教えてもらいました。

阪急電鉄500形503

写真5は阪急電鉄500形503を最後尾とする編成、1963年ごろ阪急今津線仁川駅南方。この503は写真4の右側に写っている1074になりました。

1938年〜1943年に阪急電鉄が川崎車輛で宝塚線用として500形500〜530の30輌を新造しました。車体は先行した380形のデザインを踏襲しています。小型車であったために宝塚線、今津線、箕面線、伊丹線、甲陽園線で活躍しました。1000系や2000系の増備と1500V昇圧で廃車となり広島電鉄に500〜505、508と509の8輌が譲渡されました。残る23輌はすべて能勢電鉄に譲渡されました。

写真6は広島電鉄宮島線広電宮島口駅を発車して行く直通低床連接車2502とプラットホームで乗客を待っている高床車1033、1972/5/1広電宮島口駅。

宮島線終点には写真のように白く塗装された下見板張りで、アメリカ風のスタイリッシュな信号取扱所がありました。青空と白い雲、松の緑が良く似合う明るい観光電車に良く似合うストラクチュアです。

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