古い車輌の写真

C62-1 C621、2、14

C62 1

RJ165 Web#=640 掲載2011/8/6

写真1と2はC62形C62 1、1972/5/7国鉄山陽本線小郡機関区。

太平洋戦争が終わると戦時輸送用の貨物列車用大型蒸気機関車が大量に余剰となっていました。都会から田舎へ食料を買出しに出かける人が押し寄せて、旅客列車用蒸気機関車が不足していました。当時日本を統治していたアメリカ軍当局(GHQ)は旅客列車用蒸気機関車の新製を認めていませんでした。そこで余っていた貨物用D52形蒸気機関車のボイラーを流用して、旅客列車用C59形蒸気機関車の足回りなどを新製、両者を組み合わせてC62形蒸気機関車が作られました。

1948年1月17日C62形の1号機が川崎車両1945年製D52 47のボイラーを流用して日立製作所で竣工しました。サイト・オーナーより5日だけ遅い誕生日です。D52のボイラーは問題が多く、1958年にボイラーを交換しています。
1967年に除籍、保存を見越して広島機関区、そして小郡機関区で長く保管。
1976年広島鉄道学園(国鉄職員の研修施設)の校内で静態保存。準鉄道記念物に指定。同学園が閉鎖されてから敷地内に放置。
1994年に梅小路蒸気機関車館に移され静態保存されています。

C62 2

写真3と4はC62形C62 2、1972/5/7国鉄梅小路蒸気機関車館。

1948年C62 2は三菱重工業1945年製D52 455のボイラーを流用して日立製作所で竣工しました。
1957年鷹取工場で製造した新しいボイラーに交換されています。
デフレクターに飛んでいる燕のマークが取り付けられていて、スワローエンゼルのニックネームで鉄道ファンの間でとても人気者でした。

1972年から梅小路蒸気機関車博物館で動態保存されていました。
2011年ボイラーの過熱管に漏洩が発見されましたが、修理されることなく静態保存されています。

C62 14

写真5はC62形C62 14、1967/3/31国鉄山陽本線小屋浦駅付近。

1948年C62 14は三菱重工業1945年製D52 145のボイラーを流用して日立製作所で竣工しました。
1955年に鷹取工場で製造した新しいボイラーに交換されています。
1967年糸崎機関区で廃車。

写真6はC62形C62 14、1967/3/31国鉄呉線呉駅。

どうもサイト・オーナーはC62のような幹線筋で特急列車を牽引する機関車よりもローカル線で人知れず活躍する9600形とか8620形に注目してました。当時の私は旅客列車用大型蒸気機関車がやってきても、ついでに撮っているという態度で大方の鉄道ファンとは違う変わり者でした。

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