古い車輌の写真

下津井電鉄 2 モハ102+サハ2+クハ22、モハ1001

モハ102

RP421 Web#=655 掲載2011/9/29

写真1と2はモハ102、1975/5/25下津井電鉄下津井車庫。

1954年下津井電鉄は新造車第2陣としてナニワ工機でモハ102とクハ22を作りました。機器は1951年に新造した日立製作所笠戸工場製モハ101+クハ21の電動カム軸式自動加速制御器から一歩後退したHL制御と手堅い仕様となりました。

全長13.2m、自重14.5t、出力22kw X 4、定員90名。
1990年にクハ22と共に廃車解体となりました。

1972年の路線短縮後に残されたのは、モハ110、クハ23(後にモハ1001へ改造)、モハ103+クハ24、モハ102+サハ2+クハ22の7両だけでした。鉄道部門も総勢10名の小所帯だったようです。

クハ22

写真2はクハ22、1975/5/25下津井電鉄下津井車庫。

1954年にクハ22は新造車第2陣としてナニワ工機で作られました。同時にクハ23が同じ仕様で帝国車両で作られています。全長13.2m、自重10.8t、定員90名。
1990年にモハ102と共に廃車解体となりました。

サハ2

写真3はサハ2、1975/5/25下津井電鉄下津井車庫。

1950年栗原電鉄が日本鉄道自動車工業でモハ1401と1402、1951年にモハ1403を新造しました。
1956年に栗原電鉄の改軌で不要になったモハ1401〜1403の譲渡を受けました。直接制御だったために、電装を解除してサハ1〜3となりました。全長10.3m、自重11.0t、定員74名。

路線の部分廃止後、モハ102+サハ2+クハ22の編成はイベントや競艇が開催される多客時輸送用か、モハ103+クハ24の定期検査時の交代要員として残されていました。
1988年に3輌編成のメリーベル号が新造され、この編成のサハ2が先に廃車解体となりました。

モハ1001

写真5と6はモハ1001、1975/5/25下津井電鉄下津井車庫。

1954年クハ23がクハ22と同じ仕様で帝国車両工業で作られています。就役時には全長13.2m、自重10.8t、定員90名でした。
1973年に単行運用ができる両運転台の電車として、クハ23の窓配置変更、客用扉を両端に移設、ワンマン化、廃車されたモハ52の中古部品を流用してモハ1001に改造するという大工事が自社の車庫で実施されました。

1983年から「赤いクレパス号」と称して車体への落書きを認めるようになり、ひどく汚れた状態となりました。

現在のモハ1001は落書きが消され塗装も復元されて、下津井駅に保存されています。

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