RP425 Web#=659 掲載2011/10/5写真1はC18形キハ20、1968/12/25江若鉄道安曇川駅。 1920年に近江と若狭を結ぶために江若鉄道が設立されました。1921年に三井寺下(ミイデラシタ)駅〜叡山(エイザン)駅間の6kmで開業。 1931年には浜大津駅〜近江今津駅の間51kmが全通しました。これより北の部分は当時でも人口密度が希薄で、工事が断念されてしまいました。 1961年京阪電鉄の傘下に入りました。 1969年に江若鉄道は鉄道事業を廃止し、その鉄道用地を国鉄に売却しました。現在は路線バス営業を行う江若交通として盛業中です。 1974年国鉄湖西線山科駅〜近江塩津駅間74.1kmが開業。 この写真の撮影地について長谷川まさみさんから親切なご教示をいただきました、ありがとうございます。
オハ1958
写真2はオハ1957形オハ1958、1968/12/25江若鉄道高島町駅、夏場にしか使用されないので、この駅に長期留置されていました。 江若鉄道に在籍していた初期の蒸気機関車は趣味的にとても興味深い面々でした。 1形1と2はアメリカのダヴェンポート社製Cタンク機関車で、サイドタンクの長い変わったプロポーションの蒸気機関車でした。 1070形1107と1118は鉄道省から払い下げを受けたもので、明治時代の急行旅客用2-Bテンダー機関車を無理やり2-B-1タンク機関車に改造したものでした。 100は宇部鉄道の100が鉄道省に買収され205形205となった蒸気機関車の払下げをうけたもので、珍しいアメリカのバルカン・アイアン社製1-B-1サドルタンク機関車でした。
キハ17
写真3と4はC14形キハ17、1968/12/25江若鉄道白鬚(シラヒゲ)駅で右側は琵琶湖。 この写真は私が所属していた関西学院大学鉄道研究会の上部団体である関西学生鉄道研究会連合主催でキハ17をチャーターしての撮影会の収穫です。キハ17は現代のジョイフル・トレインのはしりで、車内はシートの代わりに、一段高くなった畳敷きでした。
白鬚神社の鳥居が湖上に見える駅で停車して、会員たちが列車を撮影しているところです。もう師走も押し詰まり湖面を吹き渡ってくる風は大変冷たいものでした。 あまり保線の宜しくない線路をキハ17は左右に揺れながら走って行きました。車内にたくさん吊るされた提灯と万国旗が、ユサユサ ギシギシと列車に合わせて揺れるのが可笑しいような寂しいような光景でした。
キニ5
写真5はC4形キニ5、1968/12/25江若鉄道三井寺下駅。 C4形は江若鉄道が日本で初めて導入した120人乗り18m級の大型2軸ボギーガソリンカーです。堅実な設計で成功を収め、後の私鉄向け気動車やキハ41000形など国鉄気動車の設計に大きな影響を与えました。
写真6は1968/12/25江若鉄道三井寺下駅。 架線のない広々とした上空に注目してください。都会の通勤電車と上空にクモの巣のように張られた架線の下の鉄道に慣れた者にとっては新鮮な光景でした。
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