古い車輌の写真

江若鉄道 4 5120〜5122

5120

RP428 Web#=662 掲載2011/10/9

写真1と2はC29M形キハ5120、1968/12/25江若鉄道三井寺下(ミイデラシタ)車庫。

1963年に払下げを受けようとした国鉄キハ07型が払底していたために、江若鉄道は久し振りにディーゼルカーを1輌、東海道本線向日町運転所の傍にあった大鉄車輌で新造しました。当初はC29M形キハ30として就役しました。新造とは言ってもコスト面での制約が厳しく、台車は国鉄キハ07で使われていたTR-29の中古品払下げ、エンジンはバス用日野自動車工業DA59-A2を使い、車体を新造しました。

1964年に独自の塗装から国鉄の交直流急行型電車と同様のローズピンクとクリームのツートンカラーに塗装が改められました。
1966年に改番されてC29M形キハ5120となりました。
1969年の江若鉄道廃止に伴い関東鉄道常総線に譲渡され、そのままの番号で使われていました。
1971年関東鉄道筑波線へ転属、1972年1月にはキハ510形キハ511と改番。
1979年に関東鉄道から筑波鉄道が分社化された時に、関東鉄道竜ヶ崎線所属車とされ改造を受けるために長期間留置されていました。
1981年に筑波鉄道に譲渡されエンジンがDMH-17Cに換装されて就役。
1987年筑波鉄道線の廃止に伴い廃車解体となりました。

5121

写真3はC28SM形キハ5121、1968/12/25江若鉄道高島町駅。

1937年日本車輛で作られた国鉄キハ42000形キハ42054が前身です。
1949年に江若鉄道へ払い下げられ、C18形キハ18として就役。後に総括制御3輌編成化(キハ5121+ハ5010+キハ5122)の大改装を受けてC28SM形キハ5121となりました。
1969年の江若鉄道廃止後、関東鉄道へ売却され竜ヶ崎線でキハ521として下記のキハ522と2輌編成で使用されました。
1997年廃車。

5122

写真4はC29M形キハ5122、1968/12/25江若鉄道三井寺下車庫。

1935年日本車輛で作られた国鉄キハ42000形キハ42017が前身です。
1949年に長門鉄道へ払い下げ、キハ11として就役。
1956年長門鉄道の廃止に伴い江若鉄道へ譲渡されC18形キハ18として就役。後に総括制御3輌編成化(キハ5121+ハ5010+キハ5122)の大改装を受けてL29SM形キハ5122となりました。
1969年の江若鉄道廃止後、関東鉄道へ売却され竜ヶ崎線でキハ522として上記のキハ521と2輌編成で使用されました。
1997年廃車。

5010

写真5はC22M形ハ5010、1968/12/25江若鉄道三井寺下車庫。

1935年江若鉄道は大型で流線形のガソリンカーC10形キニ10を川崎車輛で新造しました。
1964年にエンジンを下して付随車に改造されハニフ10となりました。
1965年には車体両端を切妻として貫通路を設置、荷物扉を埋め総括制御ができるように信号線を通して3輌編成の中間車に改造、C-22M形ハ5010と改番されました。
1969年の江若鉄道廃止に伴い3輌とも関東鉄道へ譲渡され、竜ヶ崎線で使用されました。
1971年の竜ヶ崎線ワンマン化で常総線へ転属、キサハ71へ改番されました。その後、筑波線へ再転属し1974年まで使用されました。

写真6はC22M形ハ5010、1968/12/25江若鉄道三井寺下駅。

江若の気動車の場合、形式称号のアルファベットのCは、C18形まではGasoline(Diesel)Carに由来していました。1960年代中盤以降C=クロスシート、L=ロングシート、次の2桁のは数字は自重、その次のアルファベットはM=両側貫通、SM=片側貫通を表すようになりました。番号に付されたキニはハが省略されておりキニ=キハニでした。

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