古い車輌の写真

南海電鉄 阪堺線 1

モ205形227

RP440 Web#=674 掲載2011/12/31

写真1はモ205形227、1966/6/2南海電鉄阪堺線我孫子道駅。

1885年阪堺鉄道が難波駅大和川駅間を開業、これが商都大阪と堺を結ぶ私鉄の始まりでした。阪堺鉄道は1883年に廃止された工部省釜石鉱山鉄道の車両やレールの払い下げを受けて建設されたため、開業当初は2フィート9インチ(838mm)という日本では他に例のない特異なゲージを採用していました。
1897年に阪堺鉄道は3フィート6インチゲージ(1067o)に改軌。
1898年に南海鉄道と合併、和歌山までの直通運転を始めました。そして電化、複線化を行い高速郊外電車として発展して行きました。

我孫子道車庫

写真2は1966/6/2、南海電鉄阪堺線我孫子道駅より我孫子道車庫(大和川検車区)を望む。

上記の南海本線と並行する南海電鉄大阪軌道線は、浪速電車軌道から継承した上町線、阪南電気軌道から継承した平野線、初代阪堺電気軌道から継承した阪堺線から成ります。

モ161形171

写真3はモ161形171、1966/6/2南海電鉄阪堺線住吉鳥居前停留所?。

1900年大阪馬車鉄道開業。
1907年社名を大阪電車鉄道株式会社に変更。同年に浪速電車軌道株式会社と社名を再度変更。
1907年電化し3フィート6インチゲージ(1067o)から4フィート8 1/2インチゲージ(1435o)に改軌。
1909年浪速電車軌道と南海鉄道が合併、上町線となる。

モ205形249

写真4はモ205形249、1966/6/2南海電鉄阪堺線住吉鳥居前停留所?。

1911年初代の阪堺電気軌道株式会社が開通。
1913年阪南電気鉄道株式会社(未開業)を合併。
1914年阪南電気鉄道の計画区間を平野線として開業。
1915年南海鉄道は阪堺電気軌道株式会社を合併。
1944年太平洋戦争時の陸上交通事業調整法に基づき、南海鉄道株式会社と関西急行鉄道株式会社が合併、近畿日本鉄道株式会社となる。
1945年空襲で大きな被害を受ける。
1947年近畿日本鉄道は元南海鉄道に属していた区間を南海電鉄株式会社に譲渡。
1980年平野線廃止。南海電気鉄道株式会社が上町線と阪堺線の軌道事業を2代目阪堺電気軌道株式会社に営業譲渡。