古い車輌の写真

南海電鉄 4 1901

1863

RP453 Web#=687 掲載2012/1/19

写真1はクハ1861形1863、1970/12/6南海電鉄天下茶屋車庫。

クハ1861形は1861〜65の5両が在籍していました。モハ1251系で最初に作られたモハ121形と同じ初期型の車体を持っていました。モハ1251形やモハ1321形と組んで高野線の山岳線直通列車に使用されていました。この写真を撮ったころは運転台の機器が取り外されて中間車となっていました。

1904

写真2はサハ1901形1904、1971/9/1南海電鉄天下茶屋車庫。

1934年〜1943年に南海鉄道時代は大型の急行用車モハ2001形を18mに短縮した標準車としてモハ1251系を大量に製造しました。クハ1901形はその系列の制御車ですが、製造当初からクハとして新製されたもの、電装されたにもかかわらず元のクハに戻されたものなどその履歴は複雑怪奇です。

1906

写真3と4はサハ1901形1906、1970/11/3南海電鉄羽倉崎車庫。

この写真を撮影したときの1906は珍しく戦前の南海鉄道の標準塗装、深緑色の車体に鉛丹色の屋根、黒色の床下機器でした。

写真でご覧のように床下機器がほとんど無くてスカスカ、どちら側にもヘッドライトがないという寂しい恰好でした。
1955年からは1251系の車体更新工事が始まり、外板の総張替、戸袋窓や妻面窓のHゴム化、側扉のステップ撤去が行われました。クハの片方の運転台は撤去されました。
1968年から始まったATS設置工事はクハ1901には行われず、運転台がどちら側も撤去されサハ1901形となってしまいました。

1907

写真5と6はサハ1901形1907、1970/11/3南海電鉄羽倉崎車庫。

この1907は新しい南海電車の塗装、緑の濃淡のツートンカラーを纏っていました。

1973年に南海線と高野線の架線電圧が1500Vに昇圧されたのに伴って、1251系はすべて廃車となりました。

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