古い車輌の写真

長崎電気軌道 1 150、160

151

RP458 Web#=692 掲載2012/2/7

写真1は150形151、1972/8/3長崎電気軌道浦上車庫。

1925年に王子電気軌道(現在の東京都電荒川線)が服部製作所と東京瓦斯電気で400形を401〜410の10輌製造しました。
1942年に東京市に買収され100形101〜110となりました。この中で戦災に遭遇しなかったのは102、109、110の3輌だけでした。
戦後に服部製作所製の102は101と改番されました。
1952年に箱根登山鉄道の小田原市内線に譲渡されモハ20形201となりました。
1956年の小田原市内線廃止に伴い長崎電気軌道へ譲渡され150形151となりました。
当初は全長が11.8m有りましたが、長崎電気軌道入線に際して木造車体の鋼板張り、11.0mに車体短縮、扉の改造などの大改修を受け外観が大幅に変化。その後Zパンタグラフ化、台車交換なども行われました。
2012年現在この151だけが動態保存車として現役で残されていますが、ワンマン化改造を受けていないために貸切もしくはイベント時にしか運行されません。
2002年に箱根登山鉄道時代と同じ塗色(窓周り山吹色、車体はライトブルー、屋根は灰色)に変更されています。

153

写真2は150形153、1972/8/3長崎電気軌道浦上車庫。
1925年玉川電気鉄道は蒲田車輛で36号形を10輌製造しました。
1938年東京横浜電鉄に吸収合併後、東京急行電鉄(大東急)発足によりデハ20形と改番。
1946年に運輸省の要請で東京急行電鉄玉川線のデハ20形25〜27が箱根登山鉄道小田原市内線に譲渡されキキ20形25〜27となりました。
1952年にモハ20形203〜205となりました。

154

写真3は150形154、1972/8/3長崎電気軌道浦上車庫。

1956年の小田原市内線廃止に伴い長崎電気軌道へ譲渡され150形153〜155となりました。譲渡の際に151と同じ様な改造と屋根のシングルルーフ化が施工され、外観が大幅に変わりました。
1982年に153、1985年に154が廃車となりました。

162

写真4と5は160形162、1972/8/3長崎電気軌道浦上車庫。

1911年九州電気軌道(後の西鉄北九州線)は開業に備えて川崎造船所で木造オープンデッキの高床ボギー車1形1〜24の24輌を製造しました。1914年に25〜34の10輌を増備しています。
1934年10輌が鋼体化され200形204〜212となり残った24輌が10〜34に改番されました。
1950〜1954年に1形と35形は福岡市内線に転属し101形101〜156に改番されました。

1958年に西鉄から長崎電気軌道に13両が譲渡され、1形6両が160形161〜163と166〜168となりました。
1978年に162は廃車となりました。160形と170形は最後まで木造車体で活躍していました。
1979年長与町の「あやめ幼稚園」に寄贈され静態保存されていましたが2007年に解体されています。

北九州市の門司港レトロ地区にある観光施設「海峡ドラマシップ」に1形の前部のレプリカ(番号は3号)が設置されています。

160形の内168は1985年に明治時代に近い姿に復元され、長崎電気軌道創業時の茶色一色に塗り替えられました。
2011年には製造100周年を迎え、営業運転が可能な電車では日本最古で、しかも唯一の木造ボギー車です。

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