古い車輌の写真

南海電鉄 8 廃車体

天下茶屋工場の廃車体

RP457 Web#=691 掲載2012/1/30

写真1と2は南海電鉄天下茶屋車庫に残っていた廃車体、1971/9/1。

灰色に塗装された廃車体が天下茶屋工場の裏手に残されていました。シングルルーフ、貫通式、3扉という点で初代モハ1001形の一員だったと思われます。車体の隅々までよく観察して古い番号の跡などをメモしておくべきでした。

この車体は難波駅〜和歌山市駅間の急行列車に使用するため、1924年に川崎造船所兵庫工場で4輌編成が10本製造された豪華列車の一員だと思われます。就役時は電附第6号形(手荷物室、喫茶室、特等室、トイレ)+電第7号形+電附第5号形+電第7号形で編成されていました。
普通車に格下げ後は他の木造車と共に普通列車用として運用されました。木造車としては大型で正面貫通路付きだったために永く使われましたが1963年までに廃車となりました。

写真3と4は北沢産業網干線用鉄道の機関庫に残っていた廃車体、1969/9/1。

台枠の端に南海鉄道の銘板と羽の生えた車輪のトレードマークが残っていました。

国鉄山陽本線網干駅と海岸近くに有った大きな工場を結ぶ通勤路線として、工員さん達を運ぶ計画でも有ったのでしょうか。

写真5は南海電鉄南海線堺東検車区に残っていた廃車体、1970/11/3。

古い有蓋車の廃車体です。現代の貨車と比べて巾に見合った高さが無いという独特のプロポーションでした。もちろんバッファーの跡の穴が台枠に残っていました。


写真6は南海電鉄南海線羽倉崎車庫に残っていた廃車体、1970/11/3。

屋根の上に飛び出している物は遠くから見るとトルペード形ベンチレーターのように見えますが、実は普通の人笠付き煙突でした。

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