RP465 Web#=699 掲載2012/2/19写真1はモハ2000形、1976/6/5長野電鉄須坂駅。 1957年から1964年に長野電鉄は日本車輛で3輌編成2000型式特急電車をA〜D編成の4本12輌製造しました。当時の私鉄電車としては破格の優秀車であり、50年以上にわたって長野電鉄の長野市と湯田中温泉や志賀高原を結ぶ看板特急車輛として活躍してきました。 A〜C編成の3本は2011年から運用が始まった元小田急10000形の2代目1000系「ゆけむり」と、元JR東日本253系の2100系「スノーモンキー」に置き換えられました。2012年の春には最後に残ったD編成も廃車になる予定です。
2003

写真2はモハ2000形2003、1976/6/53長野電鉄長野駅。 1957年に2003は第2編成(B編成モハ2003+サハ2052+モハ2004)として日本車輌東京支店で製造されました。 1989年に冷房化とヘッドライトがシールドビームへ、窓がユニットサッシへと改造。 2005年にB編成は廃車、2006年に解体されました。
2004

写真3はモハ2000形2004、1976/6/53長野電鉄須坂駅。 1957年に2004は第2編成(B編成モハ2003+サハ2052+モハ2004)として日本車輌東京支店で製造されました。 この写真を撮影した時は塗装以外はほぼ原型で、丸みを帯びた車体、大きな窓、大きなヘッドライトと魅力満点でした。塗装は登場時の暗いマルーンに白の細線よりも、この明るい赤とクリーム色のりんごカラーの方がよく似合っています。
2052

写真3はサハ2050形2004、1976/6/53長野電鉄須坂車庫。 1957年に2004は第2編成(B編成モハ2003+サハ2052+モハ2004)として日本車輌東京支店で製造されました。 サハ2050形を抜いて2輌編成出運行できる設計でしたが、冷房用電源をサハに積み込んだために実質的には3輌固定編成となっていました。
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