古い車輌の写真

長野電鉄 5 1000、1500

1001

RP469 Web#=703 掲載2012/2/25

写真1はモハ1000形1001、1976/6/5長野電鉄長野駅。

モハ1000形は1948年に4輌、1949年に2輌が日本車輌東京支店で戦後初めての新造車として製造されました。運輸省規格型電車で同形が各地の私鉄に供給されました。

1948年モハ1000形モハ1002が作られました。
1958年頃長野側に貫通路が設置されモハ1001に改番、これはモハ1001がクハ1051に改造されて出来た空番を詰めたためです。

1051

写真2はクハ1050形1051、1976/6/5長野電鉄長野駅。

1948年モハ1000形モハ1001が作られました。
1958年頃湯田中側に貫通路が設置されクハ1051に改番。この系列のクハは貫通路が設けられた後も両側に運転台を残し、モハのどちら側にも連結できるようになっていました。

写真3はクハ1050形1051、1976/6/5長野電鉄須坂駅。

1000系は戦後の物資がまだ潤沢でなかった時代に、運輸省が主導して規格形の電車を各地の地方私鉄に普及させました。強烈な個性を持つ川崎造船形(長野電鉄ではモハ600形)とは違って、個性のない大人しいスタイルを持っていました。

1061

写真4はクハ1060形1061、1976/6/5長野電鉄須坂駅。

1922年電車形客車フホロハ1が作られました。
1927年電装改造と特等室廃止でデハ11と改番。
特等室部分が荷物室に改造されてデハニ11。後にモハニ11に改番。
初代モハ1001にモーターを提供してクハニ61。
1953年に日本車輛で鋼体化改造を受けてクハニ1061。
クハニ1081へ改番。
1970年代はじめに荷物室を客室に改造してクハ1061。

1502

写真5はモハ1500形1502、1976/6/5長野電鉄須坂駅。

1951年モハ1500形1501と1502の2輌が日本車輌東京支店で製造。車体はモハ1000形と殆ど同じでした。
1993年に3500系導入により廃車。

1551

写真6はクハ1550形1551、1976/6/5長野電鉄須坂駅。

1922年電車形客車フホハ3が作られました。
1927年電装改造でデハ3と改番。後にモハ3に改番。
デハニ12にモーターを提供してクハ51に改番。
1952年日本車輌東京支店で鋼体化クハ1551と改番。

クハ1550形はモハ1000形とモハ1500形のどちらにも連結でき漁に、長野方運転台にはモハ1000形用、湯田中方には電制付モハ1500形用の制御器を装備していました。

   前のページ 次のページ