古い車輌の写真

近江鉄道 2 135、1210

RP473 Web#=707 掲載2012/3/2

1947年に東京急行電鉄品川支局(大東急時代の京浜急行)は木造車の改造名義で三井玉野造船所でデハ5400形を10輌製造しました。
1948年東京急行電鉄から京浜急行電鉄が分離、デハ5400形は初代デハ400形401〜410と改番。
1965年の改番でデハ480形481〜490。
1965年から1966年にかけて1000形に準じた車体に載せ替えられサハ480形となりました。その際に発生した不要車体10輌分はスクラップ扱いで西武建設に売却。西武鉄道所沢工場で再生され、新車扱いで弘前電気鉄道(現在の弘南鉄道大鰐線)へ1輌(モハ100形モハ108)、総武流山電鉄へ1輌(モハ1100形モハ1101)、近江鉄道へ4輌(モハ135〜137、クハ1210)、伊予鉄道へ4輌(モハ120形121〜123とクハ421形421)と譲渡されていきました。

135

写真1はモハ135形135、1975/3/29近江鉄道彦根車庫。

1966年から1967年にかけて西武鉄道から購入した4輌分の車体は彦根工場で大改造を受けました。工事は車体を中央で切断して15m級2扉車体に短縮し、電装品は自社の在庫品や元西武311系の解体発生品を搭載しました。135は片運転台のままでした。
車籍上ではモハ133形133(これも結構複雑な前歴を持っています)の改造ということになっていました。

1210

写真2はクハ1210形1210、1975/3/29近江鉄道彦根車庫。

クハ1210はモハ135と固定編成を組んで運用されました。
車籍上ではクハ1216形1216の改造ということになっていました。

1978年モハ135とクハ1210が500系のモハ504とクハ1504に名義上改造されました。但し実態はモハ135とクハ1210を廃車にして、モハ504とクハ1504を彦根工場で新造しました。

伊予鉄道 121

写真3は伊予鉄道モハ120形121、1981/夏、伊予鉄道高浜線古町車庫にて。

伊予鉄道モハ120形の内121〜123とクハ421は上記の京浜急行電鉄初代デハ400形の内の4両です。車体載替で不要になった車体を西武鉄道所沢工場でノーシル・ノーヘッダー化し、西武鉄道手持ちの足回りを組み合わせてモハ120形としました。新造扱いで京浜急行の旧番号との対照は出来ないようです。モハ120形121は片運転台となっています。車体の大きさは変わっていないので、この121の方が京浜急行電鉄初代デハ400形の原型をとどめていました。