古い車輌の写真

近江鉄道 4 203

203

RP475Web#=709 掲載2012/3/5

写真1と2はモハ203形203、1975/3/29近江鉄道彦根車庫。

1925年東京横浜電鉄は開業用としてデハ100形101〜112の12輌を藤永田造船所で製造しました。その内101〜105は竣工直後に目黒蒲田電鉄に譲渡。
1934年目黒蒲田電鉄との合併時にモハ100形101〜112と改番。
1942年全車が東急に引き継がれ、デハ3100形3101〜3112。後に車体延長改造が行われて他形式と全長がほぼ揃えられ、乗務員室が乗務員扉を持つ全室運転台に改造。
1957年昇圧に備えた3101〜3109が電装解除と運転台撤去が行われサハ3100形3101〜3109。
1967年近江鉄道は東京急行電鉄よりサハ3100形3101を譲受、サハ100形101として竣工。その後車体老朽化のために、元小田急1600の車体に載替られました。

1942年、東京急行電鉄(大東急)は川崎車輛でデハ1600形1601〜1610の10両を製造しました。
1948年東京急行電鉄から分離し小田急電鉄デハ1600形1601〜1610。後に両運転台から片運転台に改造。
1970年に小田急デハ1600形1610の車体との載替と電装化が西武所沢工場にて行われモハ203形203として竣工。203と204は200型と異なり両運転台であったために形式を分けられました。その後ワンマン化改造を受け、両運転台のため多賀線等の区間運用に使われていました。
1992年203の台枠に西武鉄道から譲り受けた701系クハ1742の車体部品を切り継ぐ大改造が施工され、モハ220形222となりました。車籍は引き継がれていますが、外観は全く元の面影を失っております。旧式な吊り掛け駆動方式、FS40形空気バネ台車、冷房付き、ノーシルノーヘッダーの平滑な車体、両開き3扉と新旧入り混じった電車としてデビューしました。

204

写真3はモハ203形204、1975/3/29近江鉄道彦根車庫。

1946年東京急行電鉄(大東急)では東横線用として汽車製造で新造していたデハ3550形を、空襲による火災で車輛を失った井の頭線投入、デハ1700形1701〜1707となりました。
1948年の京王帝都電鉄分離以降も引き続き井の頭線で使用されました。
1950年にデハ1707が事故に遭い、日本車輌製造で復旧されました。
1965年デハ1700形は全車京王線へ1372mmへの改軌工事の上転属。
1972年に6000系投入に伴い全車廃車、1707のみ近江鉄道に譲渡されました。
1973年西武所沢工場でデハ1707と中古の床下機器と組み合わせ、両運転台化改造されモハ203形204として竣工しました。車籍上では自社工場製のクハ1212形1212を電装化。
1980年に車内を荷物郵便合造車に改造、モユニ11形11と改番されました。
1984年に鉄道郵便輸送が廃止、長期間休車。
1990年に廃車。
2004年彦根駅東口再開発に伴い留置場所であったヤードが廃止され、解体処分。