古い車輌の写真

近江鉄道 5 1207

1207

RP475 Web#=710 掲載2012/3/6

写真1〜3はクハ1207形1207、1975/3/29近江鉄道彦根車庫。このクハ1207は極めて複雑怪奇な経歴を持っています。

1898年の近江鉄道開業に備えて福岡鉄工所で木造区分室式4輪客車「は1形」初代「は1〜20」の20輌を新造しました。
1912年に彦根車庫火災で9両焼失。は1は無事で番号はそのままでしたが、残りは欠番を埋めるように改番(は3、4、5、8、9、12、13、15、18、20が2代目は2〜11)されました。

1913年に4輪車2輌を1輌の中央に通路を持つ構造のボギー車とする改造(まるで鉄道模型)が行われ、5輌のボギー客車が誕生しました。そのうち四輪単車「は3」と「は4」はボギー車ハ2となりました。
1926年ハ2は郵便室付き合造車に改造されフホハユ1形フホハユ2となりました。
1930年に電車増結用として整備されフホハ33となりました。
1940年にオープンデッキを廃止して客扉を設置。
1951年に木造台枠の補強工事(明治製の台枠でかなり緩んでいた?)。
1956年荷物室が設けられフホハニ33となりました。
1956年元西武鉄道の木造車クハ1260(この車体の経歴は下記参照)の車体に載せ替えてサ1207となりました。

1962年西武所沢工場において上信電鉄の車体更新の際に発生した旧車体(この車体の経歴は下記参照)を再利用して鋼体化改造が行われクハ1207として竣工しました。これにより両運転台のモハが蒸気機関車時代から引き継いだサハを牽引する形から、Mc+Tc編成による電鉄らしい運行形態となりました。写真1〜3はこの時期のクハ1207です。
1982年車体を新造してクハ1505となり、モハ505+クハ1505の固定編成で長く活躍しました。
2008年モハ505+クハ1505はレール輸送貨車(空気バネ付き!)チ10形チ11と12の2輌に改造され現役です。

西武鉄道の木造車クハ1260の経歴です。
1927年に(初代)西武鉄道が木造シングルルーフの3扉電車モハ500形501〜510の10輌を日本車輌製造と服部製作所で新造しました。
1941年戦時体制下増備されるモハ200形にモーターと制御機器を供出し、残った車体と台車はクハ1200形クハ1201〜1210となりました。そして新造のモハ200形モハ201〜210の10両とMc+Tcの2両編成を組む事となりました。
1948年に一斉改番でクハ1251形クハ1251〜1260。
1955年から近江鉄道へクハ1252〜1255、1257〜1260が譲渡されました。
1956年にクハ1260の車体に客車フホハニ33の台車を装着する事で、近江鉄道はモハ+クハの編成を実現しました。

上信電鉄の車体更新の際に発生したクハニ21の旧車体の経歴です。
1927年豊川鉄道がと鳳来寺鉄道(共に現在の飯田線で、資本が同系列)は大阪鉄工所と川崎造船所で半鋼製電車モハ2形1輌とモハ20形2輌製造しました。豊川鉄道が大阪鉄工所で製造したモハ20形24が近江鉄道クハ1207の前身です。
1938年豊川鉄道と鳳来寺鉄道は両者一括して改番を行い、豊川鉄道モハ24はモハ22となりました。
1943年戦時買収、番号は私鉄時代のままで運用されていました。買収時は飯田線で運用されていましたが、所属は宇部線、福塩線、富山港線と次々と変わりました。
1953年車輛称号規定の改正に伴いモハ1600形モハ1601に改番。
1957年国鉄を廃車。
1958年上信電鉄へ譲渡、クハニ21として就役。
1962年に西武所沢工場でクハニ21の台枠を延長してクハ22に改造する際に発生した旧車体が、近江鉄道に譲渡されクハ1207形クハ1207となりました。

阪急電鉄 658

写真4は同系の川崎造船所製阪急電鉄658。

クハ1207の車体は大阪鐵工所で製造されましたが、所謂川崎造船タイプと呼ばれるもので、厚い屋根、独特のカーブを描いた雨樋、お椀形ベンチレーター、リベットだらけの車体と強烈な個性を放っていました。正面は2枚窓に改造されています。
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