古い車輌の写真

保線 2 バラスト

バラスト・クリーナー

RM019 Web#=719 掲載2012/3/20

写真1と2は車籍の無いバラスト・クリーナー、撮影年月日不詳、国鉄東海道本線尼崎駅保線区。

前の記事で撮影したヤ110と同じ所で撮影しましたが、こちらの方がヤ110と比べても遥かに大きいにもかかわらず車籍を貰っていない例です。新しいバラストと古いバラストの屑を運ぶホッパー車が見当たりません。

運転台のデザインが垢ぬけています。多分オーストリアのウィーンに本社、リンツに工場がある線路工事用重機メーカーのプラッサー&トイラー社 (Plasser & Theurer) で作られたものでしょう。このような車籍の無い保線車輛はファン誌にも記事が載らず、詳細は不明なのが残念です。

リム477

写真3は国鉄の盛岡鉄道管理局に所属するダンプ式の陸運車リム300形リム477、1966/8/6同和鉱業小坂鉄道線小坂駅。

鉄道線路に散布する砂利を作業の現場まで運搬するには、陸運車(記号はリ)という背の低い無蓋車が使われていました。機械が無かった古い時代には、砂利の積卸はスコップと腕っ節の強い保線係員の肩に頼っていました。
1953年になってやっと砂利の運搬作業を合理化するために作られたのがダンプ式の陸運車リム300形です。妻面のリンクを操作して荷台を傾斜させて砂利の取り降ろしを行います。
1985年まで使用されていました。

戦前の列車の絵葉書などを見ていると、国鉄の東海道本線のような主要幹線でも道床の薄さに驚かされます。当時の日本の国力に見合った薄さだったのでしょう。保線作業も全て人の手で、シャベルや鶴嘴(ツルハシ)のような簡単な道具で行われていました。

現代の強力なマルチプル・タイタンパーやバラストクリーナー、砕石散布用ホキ800形ホッパー車などが轟音と共に稼働する光景を見ていると、このような作業を人の労働(極めて苛烈な)だけで出来たとは想像ができません。
.

新幹線モデル線区の砕石散布車3000形3002

写真4は新幹線モデル線区の3000形3002、1963/4/1モデル線区鴨宮車輛基地。

1962年から1964年にかけて東海道新幹線開業に伴い国鉄浜松工場で3000形砕石散布用ホッパ車が63両 (3001〜3063) 千倉れました。在来線で使われていたホキ800形砕石散布用ホッパ車と同じ設計でゲージだけ1435oに変えたものです。
後に931形 (931-1〜931-60)に改番されています。
1933年にJR東海所有車が車籍抹消、JR西日本所有車も2002年に車籍抹消となり、以降は車籍のない保線機械として夜間の作業に使用されています。