古い車輌の写真

保線 3 バラスト

能勢電鉄 103

RM020 Web#=720 掲載2012/3/23

写真1は能勢電鉄103、絹延橋車庫。

路面電車を出自とする電鉄会社には、このような貨物電車が必ず在籍していました。路面電車には電気機関車というものが無いので、終点に来れば機関車を先頭に付け替えることなく折り返して行きました。つまり保線用バラストを運ぶ時も無蓋貨車が使えず、無蓋の貨物電車に頼っていました。

京福電鉄叡山線 101

写真2は京福電鉄叡山線デワ101、1968/5/26修学院車庫。これを撮影した時な砕石の積み込みが終わって煽り戸が持ち上げられたところでした。

路面電車から発達してきた電鉄で使われていた貨物電車も、写真2のような立派な屋根を設けた車輛が現れました。写真1の能勢電鉄103が履いていたのは固定式の簡素な足回りでしたが、京福電鉄叡山線101は立派な専業メーカー製ブリル21形台車を履いていました。

能勢電鉄 106

写真3は能勢電鉄106、1965/4/1絹延橋車庫。

写真1の103が余りにも簡素だったためか、次に作られた106はブリル製のボギー台車を履いた新車が奢られました。能勢電鉄の貨物電車は、どちらも何時訪問しても砕石運搬のためか泥だらけでした。

1962年に瑞穂工業で作られ、1991年に廃車になるまで使われていました。写真はトロリーポールを載せていますが、後にZ形パンタグラフに取換えられています。

阪急 4101

写真4は阪急電鉄4101、1970/3/25京都線正雀工場。

阪急電車で4000番台は車籍を持った事業用車輛に付けられる番号です。阪急では保線車両は黒に塗装されているのが普通ですが、この4101は黄色に塗装されていました。実際は車籍の無い保線機械扱いだったかもしれません。荷台の側板は比重の重いバラストを積むために背の低い2枚で、古い国鉄の陸運車に倣っています。

阪急 4115

写真5は阪急電鉄4115、1965/2/3西宮車庫。

写真4の無蓋車に電話ボックスのような車掌室を取り付けた保線資材運搬用貨車です。私が小学生時代に黒い無蓋車2輌が無蓋貨物電車に推進されて走ってくるのを校庭から眺めた記憶があります。先頭の無蓋車には赤旗を持った車掌さんが立っていました。

山陽電鉄 52

写真6は山陽電鉄52、1970/2/14西代車庫。

山陽電鉄では貨物営業を行っていた時期もありましたが、この52は保線用として残されていたもので、西代車庫で枕木置場の側線に止められていました。

機回り線が敷設されていない山陽電鉄ではどのような運用をしていたのでしょう。

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