古い車輌の写真

近鉄のナローゲージ 2 200

201

RP483 Web#=728 掲載2012/5/11

写真1はモ200形202、1967/8/23近鉄 北勢線。

1959年三重交通は湯の山温泉への観光客輸送のために三重線(後の近鉄湯の山線)用として、日本車輛製造本店で、モ4400形4401(M-1)-4401(T-1)-4401(M-2)の3車体連接車を1編成製造しました。就役当初はクリーム色とダークグリーンのツートンカラーで、当時流行の湘南形の優しい表情の魅力ある電車でした。

写真1は三重電鉄が近鉄へ吸収合併された後の、明るいマルーン色一色に塗装されていた時代です。ヘッドライトがナローゲージ用の狭い車体に比して過大でしたが、反って好ましい印象がありました。

写真2はサ100形101、1967/8/23近鉄 北勢線。

狭い空間しかないナローゲージの台車内に神鋼電機が開発した複雑な垂直カルダンドライブを収容したために、メンテナンスの面で問題を残していました。写真2の4401(T-1)をもう1輌増備して4輌編成とする計画もありましたが、手間のかかるカルダンドライブに更なる負担を強いることが嫌われて中止となりました。

写真3はク200形202、1978/5/14近鉄 北勢線北大社車庫。

1964年三重交通から鉄道部門が分離され三重電鉄となりました。
1965年三重電鉄が近鉄に吸収合併。湯の山線が762o軌間の軽便鉄道から1435oの標準軌となり大阪や名古屋からの直通電車が入るようになりました。このときモ4400形4401(M-1)-4401(T-1)-4401(M-2)はモ200形とサ100形となり、201-101-202と改番されました。湯の山線が改軌された後に残された内部・八王子線では輸送力過大であったために、同時に吸収合併された北勢線に転属しました。

1971年には新造後僅か12年で電装解除が行われ、モ200形201と202は運転台を撤去されサ200形201と202へ改造され、モニ220形に牽引される単なる付随車として運用されていました。

1977年より開始された北勢線の近代化事業において、本形式は新造のモ270形と貫通固定編成を組むこととなり、サ202の旧運転台が復旧されク200形202に改番されました。このとき取り外されていたヘッドライトは写真3のように中央に行先表字幕を挟んでシールドビーム2灯となりました。このとき反対側のサ201は湘南形の妻面に貫通扉が設けられ原型を崩しています。

写真4はサ100形101、1978/5/14近鉄 北勢線北大社車庫。

2003年に近鉄北勢線は三岐鉄道へ移管されました。それに伴いワンマン化対応工事や運賃箱の設置が行われ、黄色を基調とする新塗装への塗替が実施されました。
2011年現在原型を大きく崩していますが活躍中です。