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RP484 Web#=729 掲載2012/5/12写真1はモニ210形211、1970/1/25近鉄 北勢線。 1928年に四日市鉄道(現在の近鉄湯の山線)が田中車輛(現在の近畿車輛)でデ50形デ51〜デ54の4輌を新造しました。当時の標準的なデザインで、妻面が非貫通3枚窓、ウインドウシルとヘッダーはリベットで留められていました。ベンチレーターは初期の半鋼製車に良く見られる所謂お椀形、就役当初はヘッドライトが腰板(つまりお臍ライト)に取り付けられていました。
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写真2はモニ210形212、1971/1/15近鉄 内部・八王子線四日市駅。 半鋼製車体で全長11.5m、自重15.2t、駆動方式は吊掛式で出力30KwX4(近鉄時代)、定員60名、台車は路面電車用に良く似た日本車輛製C型。スペックを見ると大都会で活躍しているボギー路面電車と大体同じです。 写真2は隣接する近鉄名古屋線のプラットホームから撮影しましたが、1435oゲージと762oゲージの差がとても顕著です。また、ナロー電車の背の低さとプラットホームの低さが目立っています。、
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写真2はモニ210形213、1970/1/25近鉄 内部・八王子線。 1931年に四日市鉄道が三重鉄道(現在の内部・八王子線)に合併された際にデハニ50形に変更されましたが、番号は元の51〜54のままでした。 1944年に戦時合併で三重交通三重線となりモニ211型モニ211〜モニ214と改番。 1964年に三重交通の鉄道部門分離により三重電気鉄道三重線所属となりました。 1965年近鉄への吸収合併により形式がモニ210型となりましたが、番号は変わりませんでした。 1982年にモ260系導入による近代化で4両とも廃車解体となりました。

写真4はモニ210形213、1970/1/25近鉄 内部・八王子線日永駅。 同じ線区で長期にわたって使われていたため、多くの改造工事が行われていました。 集電装置は当初のトロリーポールからパンタグラフへ、ヘッドライトは腰板に取り付けた所謂「おヘソライト」から屋根の上に移動、尾灯は2灯へ増設、車内の灯火が蛍光灯へ、ブレーキの改善、連結器が軽便鉄道で良く見られる朝顔形ピンリンク式連結器から自動連結器への変更、集電動機の増強と多岐にわたっておりました。
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写真5はモニ210形214、1970/1/25近鉄 内部・八王子線内部車庫。 写真で見られるように軽便鉄道の小柄な電車でしたが、車体のデザインはアンバランスになることもなく綺麗なプロポーションを持っていました。車体のサイズに比してヘッドライトとパンタグラフが大きすぎるはずですが、破綻なくまとまっていました。

写真6はモニ210形214、1971/1/15近鉄 内部・八王子線日永駅。 現在ナローゲージ区間で活躍している最新鋭の大型車260系や270系のデザインよりもまとまって見えるのはサイト・オーナーだけでしょうか? モニ210系は半鋼製ナローゲージ電車を代表する名車と思いますがいかがでしょう。
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