古い車輌の写真

近鉄のナローゲージ 4 220

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RP485 Web#=730 掲載2012/5/14

写真1はモニ220形223、1978/5/14近鉄 北勢線北大社車庫。

1931年に北勢鉄道は全線電化開業に合わせて、日本車輌製造本店でモハニ50形モハニ50〜モハニ55の6両を製造しました。
1934年北勢鉄道は北勢電気鉄道に社名変更。
1944年に戦時合併で三重交通北勢線となりモニ221形モニ221〜モニ226へ改番。
1949年に日本車輌製造本店でほぼ同型のモニ227〜モニ229の3輌が追加製造されました。車体は溶接構造となりリベットが無くなってすっきりとした車体になりました。この3輌の内モニ227は北勢線、モニ228とモニ229は三重線(後の近鉄湯の山線と内部・八王子線)へ配置されました。
1964年に三重交通の鉄道部門分離により三重電気鉄道北勢線と三重線所属になりました。
1965年近鉄への吸収合併により形式がモニ220型となりましたが、番号は変わりませんでした。

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写真2はモニ220形224、1967/8/23近鉄 北勢線阿下喜駅。

車体のデザインは当時の標準的なもので、近くの四日市鉄道が先に導入していたデハニ51形(後の近鉄モニ210形)に良く似ていました。
半鋼製車体で全長11.5m、自重15.8t、駆動方式は吊掛式で出力25KwX4(近鉄時代)、定員60名、台車は路面電車用に良く似た日本車輛製NKC-1型。窓が明るい大きな2段上昇式窓となったため軽快な印象を与えています。

写真3はモニ220形224、1978/5/14近鉄 北勢線北大社車庫。

就役当初の集電装置は最初からパンタグラフでした。制御方式は直接制御でした。これは蒸気機関車時代と同じで、1台の動力車が数台の付随車を牽引し、終点で機回し線を使って動力車を先頭に付け替えるという面倒な運用を行っていたためです。

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写真4はモニ220形225、1967/8/23近鉄 北勢線西桑名車庫。

1977年に270系が投入され北勢線の電動車に余剰が出たため、モニ225〜モニ227の3両は内部・八王子線へ転属。
残ったモニ221〜224の4輌は、荷物室の撤去、ドアエンジン設置、総括制御化、ブレーキの改良、貫通幌と扉の設置、ヘッドライトのシールドビーム化とかなり大規模な改造工事を受けてク221+モ222とク223+モ224の2輌固定編成になりました。
1992年北勢線に所属する2編成4輌はすべて廃車解体となりました。

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写真5はモニ220形228、1971/1/15近鉄 内部・八王子線近鉄四日市駅。

1982年内部・八王子線の近代化事業に伴う260系の入線で、戦前製のモニ225・モニ226が廃車。戦後製のモニ227〜モニ229は電装解除、車体のほぼ新造を受けてサ120形サ121〜サ123へ大改造が行われ、2012年現在現役車として活躍中です。

1983年に廃車となったモニ220形のうちモニ226は2008年まで四日市スポーツランドで保存されていました。現在は三岐鉄道北勢線阿下喜駅に移されて、保存のための復元作業が行われています。

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