古い車輌の写真

近鉄のナローゲージ 5 230、240

231

RP486 Web#=753 掲載2012/5/15

写真1はモ230形231、1970/1/25近鉄 内部・八王子線日永駅。

1927年松阪鉄道は電化完成に備えて日本車輌製造本店でデ30形荷物合造電動客車デ31〜33とフ21形付随客車フ21とフ22の5輌を製造しました。フ21形は当初から電装を予定した構造でした。
1944年の戦時合併で三重交通松坂線となりフ21形フ21、フ22はサ441形サ441、サ442へ改番。
1952年にサ442が三重線(現在の近鉄湯の山線、内部・八王子線)へ転用され、客用扉配置の改造、台車は新扶桑金属工業KS-40Jを新造して交換、定格出力28.0kWの主電動機を4基搭載して電動車化され、モ260形モ260へ改番。

1965年近鉄への吸収合併により形式がモ230型231となりました。
1977年の北勢線近代化に伴う270系の新製投入で押し出されたモニ220形が、内部・八王子線転入、押し出された231は廃車解体となりました。

丸妻の車体のせいでしょうか、四角四面のモニ210、モ240等と比べて器量良しに見えるのはサイト・オーナーだけでしょうか。

241

写真2はモ240形241、1971/1/15近鉄 内部・八王子線四日市駅。

1928年に四日市鉄道は田中車輛(現在の近畿車輛)で付随車60形61を製造しました。車体は同時に作られたデ50形と同じ設計でした。

写真3〜5はモ240形241、1971/1/15近鉄 内部・八王子線日永駅。

1931年の三重鉄道へ併合時に番号はそのままで形式称号はサハ61形に変更。
1944年の戦時合併で三重交通三重線となりサ371形サ371へ改番。
1951年に電装化されモ240形240と改番。
1964年に三重交通の鉄道部門分離により三重電気鉄道三重線所属になりました。



1965年近鉄への吸収合併により形式がモ240型241となりました。
1977年にモ230形と同じ経緯で廃車解体。

車体のデザインは当時の標準的なもので、近くの四日市鉄道が先に導入していたデハニ51形(後の近鉄モニ210形)に良く似ていました。
四角い半鋼製車体で全長11.5m、自重15.2t、駆動方式は吊掛式で出力30KwX4(近鉄時代)、定員60名、台車は路面電車用に良く似た日本車輛製C型。

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